- 戦前の茨城県に東京を結ぶ大私鉄が誕生していたら
92 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk [warikotoshi@mukogawa.w.u]:2011/07/31(日) 05:54:03.12 ID:sYYm10/A - >>1
ズバリ、その幻の大私鉄の鉄道会社名は? (時代が時代だけに横文字や平仮名の名称ではなかったに違いない)
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- 四国急行黄金時代を語らないか
158 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk [warikotoshi@mukogawa.w.u]:2011/07/31(日) 06:22:55.94 ID:sYYm10/A - >>157
>よしの川は阿波池田〜徳島・小松島だったっけ? ※高知始発の「よしの川」が、昭和55年10月改正のときまで2往復存在していました。 (阿波池田始発は4往復で、55年10月からは6往復の体制) >徳島〜小松島間は快速だったかな? そうですね。 正式には小松島港(臨)まで。 >さすがに徳島本線唯一の急行・よしの川には専用色は用意されなかったみたいだね 黄色地に黒の文字盤表示にする案があったとやら無かったとやら… もしくは黒地に白のくり抜き表示の案。
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- 四国急行黄金時代を語らないか
159 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk [warikotoshi@mukogawa.w.u]:2011/07/31(日) 06:43:26.34 ID:sYYm10/A - …坂出-高松間、もしくは三本松-高松間の、割に長距離ノンストップの時間を利用して
終点の高松に到着するまでの間に、検札がてら急行券(もしくは特急券)を回収しにくる”オレンジ作戦”も、 おおむね四国総局特有のやり方ではなかったか? まあ、さすがに宇高連絡船の場合は青函連絡船の場合とは違って乗船名簿を乗客に配って回ることはしなかったが。 上りの急行(特急も含む)で高松駅のプラットホームに降り立って マラソン大会よろしく駆け足で連絡船に乗船する光景は否応なしに旅情を掻き立たせたもんだったw しかも高松駅は全プラットホームが行き止まり方式の「櫛形ホーム」でもあったのだから。 この独特な旅情は上野駅でも東京駅でも、もしくは門司港駅でも味わうことはなかった。 (函館駅が唯一の例外?)
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