- 鉄道郵便を語るスレ
570 :元二乗[oyu10-2565@actv.zaq.ne.jp]:2011/03/30(水) 20:20:04.03 ID:dNiwnLOG - >>519 >>520 >>569
500さま 乗務行路や寝室のお話がありましたので私からも。昭和50年代の話です。 大阪鉄郵ではどの路線にも乗務行路番号がありました。 月間行路表が渡されると自宅カレンダーに書き込みします。 最近見たテレビで車掌の行路表が出ていましたが、郵便車ですと車掌のように行ったり来たりではなく、 行き先での折り返しは1回か2回です。 番号は基本的に2桁の数字で表し、十の桁で行きの便を示し、一の桁で帰りの便を示したので、番号を見ればどの便で行き、 どの便で戻るかが一目でわかる仕組みでした。 例:第一乗務課(東門線の大阪〜岡山・糸崎)の場合、 行きの便 1→東門下一 2→東門下二 ・・・ 6→阪門下? 帰りの便 1→東門上一 2→東門上二 など なので、「12」行路であれば東門下一で糸崎で折返し後、東門上二で戻る。 第二乗務課(阪青線の大阪〜敦賀)の場合、 行きの便 1→阪青下護送 2→阪青下 3→阪金下 4→阪富下 6→阪長下 帰りの便 1→阪青上一 2→阪青上二 3→阪金上 4→阪潟上 なので、「61」行路であれば阪長下で敦賀で折返し後、阪青上一で戻る。 といった具合です。実はもっと複雑で東門線はたいていの便で扱い便と護送便がペア連結なっていて、護送の場合は往復で4桁になる法則でしたが、 やはり一目で何に乗るのかわかるように工夫されていました。 その他、亀阪線、阪鶴線(鳥取、福知山、東舞鶴)方面の番号は忘れましたが法則に基づいて付番されていました。 さて出勤時刻ですが、行路ごとに乗る便の発時刻のだいたい1時間前になっていて、制服に着替えて乗務課に行き、確認表に押印します。 そのとき、自分の氏名と行路番号を対比する箇所に押印して担当さんに示し、指定された者が指定時刻に出勤したことを確認したもらったような記憶です。 折返し先の乗務員事務室で何をしたかは定かでありませんが、寝過ごし、事務室集合の遅刻は許されませんでした。 自分の行路を認識しておいて、帰りの便では寝室でもひとりで起きる場合もあって誰かが起こしてくれる訳ではないので、目覚まし時計をよく点検し、 カバンにもうひとつのマイ時計を持参して、時計2台に起こしてもらいました。 敦賀の22行路なんか、仮眠は3時間程度のとんぼ帰りでしたし。 二段ベッドの話ですが、糸崎も敦賀も乗務員が多いので寝室も多く、寝室単位でも一斉に寝たり起きたりではありませんから、 先に寝ていても後から来た乗務員が入る気配で目を覚ましたものです。 ここで乗務行路が関係してくるのですが、寝室の扉わきに「どのベッドが○○行路の□□担務者」とか書かれていますので、 毎回ベッドが違っても間違わずに使用していました。 一斉に寝室を使わないというのがわかりにくいかもしれませんが、ある便、例えば阪青下に乗務員が7人乗っていたとしますと、 帰りの便は人によってまちまちで、とんぼ帰りする22やら、翌日夕方まで過ごせる24やら担務者によって異なるので、 事務室に着いてもすぐ寝る人と食堂でお酒をいただいて歓談する人に分かれます。 また、24の人が翌日の夕方に阪潟上で集合すると、24の人やら44、14の人やらで総勢7人になって敦賀から乗務するという仕組みです。 その他、JRの車掌区、列車区でも、主に特急ばかり乗る組(ベテラン)から通勤電車ばかりの組があるのと同様に、鉄郵でも数字1〜5の組があって、 1なら便長クラスだったはずです。 私は5組の中で、14やら31やらいくつかのパターンが指定されていたので、月間で5種類くらいの勤務が休日をはさんでローテーションしていました。 ほか、急な変更でてんやわんやしたこと、その他ハプニングもありますが、長くなりますのでこの辺にしておきます。
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