トップページ > 鉄道懐かし > 2011年01月10日 > ck11kdgS

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>>500
鉄道郵便を語るスレ

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鉄道郵便を語るスレ
517 :>>500[sage]:2011/01/10(月) 00:41:46 ID:ck11kdgS
お言葉に甘えて、先日のメモを書いてみます。聞き損ねて間違いがあったらすみません。

●鉛玉と紙紐で封緘する道具があり、一番給料の少ない下っ端がその封緘準備をしていた。
紙紐(把捉紐)を決まった長さに切り、紐の先に穴の開いた鉛玉を通して紐を結んで玉を作り、鉛玉が抜けないようにする。それを沢山作って束ねておく。
封緘する時は紐をぐるぐる回してくくり、鉛玉をペンチのような道具で潰す。
潰すと「熊本鉄道郵便局」の文字が鉛玉にくっきり刻印される。鉛玉は再利用する。封を開けたら紐からはずして回収する。溶かしてまた鉛玉にして次の封緘に使う。

●郵袋には甲と乙とあって、甲が大きくて乙が小さい、並甲とか並乙とか言っていた。赤が現金書留の郵袋、白が速達の郵袋、航空郵袋は(薄い青?)薄くて生地のいいもので軽量化してあった。
鉄道郵便を語るスレ
518 :>>500[sage]:2011/01/10(月) 00:58:13 ID:ck11kdgS
●鉄郵以外の郵政職員には職場に一冊しか時刻表が渡されなかったが、鉄郵職員には特別に一人一冊支給されていた。毎年3月に国鉄の時刻表が改定される時、手書きでその改定された部分を全部訂正しないといけなかったのが泣きたいくらい辛かった。

●昔気質で先輩の言うことは全て正しい、白い物でも先輩が黒といえば黒、鍛えられた。先輩や便長は威厳があった。その代わり部下の面倒はよくみる風潮がありお金がなければ貸してくれたし、飲食は全部先輩や便長が払った。


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