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フェイク鬼和尚、何時でも何処でも常時犬を蹴り
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79

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悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
491 :フェイク鬼和尚、何時でも何処でも常時犬を蹴り[ageage]:2020/10/14(水) 02:48:49.22 ID:9qDNxzaX
碧巌録(へきがんろく) 第15則  雲門倒一説(うんもん とう いっせつ)

本則

修行僧、雲門に問う、「これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何(いかん)?」
雲門云く、「倒一説」。

本則
ある僧が雲門に聞いた、 「目前に説法する相手がいないし、説法する課題もない場合にはどうしますか?」
雲門は言った、「引っくり返して説きなさい」。


雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864〜949)。雲門宗の祖。 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→ 徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃
若くして出家し、刻苦精励して大悟されたが、更に境涯の円熟を期して幾多の名僧に歴参された。
「雲門天子」と称された高邁な宗風をもつ雲門宗の開祖であり、その「日々是好日」の句は一般にも良く知られている。
雲門文偃禅師は唐末から五代(864 ? 949)にかけて活躍された名僧である。
その伝記は、何といってもその言行録である『雲門広録』(とりわけ、その末尾の「雲門山光泰禅院匡真大師行録」)が基本となる。

雲門禅師は諱(いみな)が文偃といい、俗姓を張という。浙江省・嘉興の出身であった。幼時から俗世間を厭(いと)い、17歳の時、遂に嘉興の空王寺の志澄律師の弟子となって出家した。
禅師は生まれながら賢く聡明で、経典を読んでも一度で理解して再見を要しないほどであったので、律師も大層その器量を称(たた)えたという。
20歳にして江蘇省・毘陵(びりょう)の戒壇で具足戒を受け、再び志澄律師のもとに戻って、戒律を集大成した四分律(しぶんりつ)を学んだ。

これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何?: 目前に説法の相手もおらず、また説法する課題もない時どうしますか?
倒一説:一つずつ反転する。一切の定言を価値転換する。

問う、「説法の相手もいないし、テーマもない場合どうしますか?」

答える、「一説など蹴っ飛ばせ! 」


禅は何を伝えるのか。
主人公である、平等である。平等であり、主人公である。この事である。
これは、わたしが、と言うだけではない、全存在が、全宇宙が、主人公である。それぞれは違うが、違っていて同じ、平等である。
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
494 :フェイク鬼和尚、何時でも何処でも常時犬を蹴り[ageage]:2020/10/14(水) 21:17:23.48 ID:9qDNxzaX
碧巌録(へきがんろく) 第16則  鏡清(きょうしょう)裏裏(そうり)の漢(かん)

本則
僧、鏡清に問う、「学人ソツす。請う師、啄(たく)せよ」。
清云く、 「還(かえ)って活を得るや、也(ま)た無なや。」 
僧云く、「もし活せずんば人に怪笑せられん」。
清云く、「也たこれ草裏の漢」。

本則
挙す、僧鏡清に問う、學人?(そつ)す、請(こ)う師啄(たく)せよ。
清いわく、還って活を得るやまた無しや。
僧いわく、若し活せずんば、人に怪笑(くわいせう)せられん。
清いわく、また是れ草裏の漢。

本則
一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て聞いた、「私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。
鏡清は言った、「そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫か。」 
僧は言った、「もし私が悟りを開く事ができなければ、老師がかえって世間の笑いものになります」。
鏡清は言った、「このたわけ者め!」。


鏡清:鏡清道フ(きょうしょうどうふ。雪峰義存の弟子で浙江省紹興府の鏡清寺に居住した。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ
草裏の漢:妄想の草の中に埋まっているたわけ者。落ちこぼれ野郎。たわけ者
ソツ啄同時(そったくどうじ)

ある僧が、鏡清和尚に【學人ソツす、請う師啄せよ】と問う。
この鏡清和尚は日頃から『行脚(あんぎょ)の人は、須(すべか)らくソツ啄同時の眼を具し、ソツ啄同時の用ありてまさに衲僧(のうそう)と称すべし』と弟子に教えていた。
その僧は「私は、内部からツツイテいます、どうぞ外からツツイテ下さい」と言ったのである。
鏡清和尚いわく【還って活を得るやまた無しや】ところで、その雛は生きているのか、死んでいるのか?と聞いた。
そこで僧は、生きておりますとも、死んだ雛が殻の中からものを言ったとしたら人から怪しまれ、物笑いの種になりましょうぞと答えたのである。
そこで鏡清和尚は、真に生きているのなら何のために外からツツイテ下さいなどと云う必要があるか『生きていると言うが草葉の陰で生きているらしいぞ』と冷やかしたのである。

→この公案も悟後(ごご)の公案である。


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