- 悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
176 :フェイク鬼和尚 ◆cpzwTi5hX. []:2020/07/25(土) 00:42:35.94 ID:Rg+dyZQK - 六祖壇経・2 3.7 坐禅の教え :その2
師言う、善知識よ、何をか坐禅と名づく。 この法門の中には障無く碍無し。 外一切善悪の境界に於いて、心念起こらざるを、名づけて坐となす。 うち自性を見て動ぜざるを、名づけて禅となす。 善知識よ、何をか禅定と名づく。 外相を離るるを禅となし、内乱れざるを定と為す。 外もし相に着せば内心は即ち乱る。 外もし相を離るれば、心は即ち乱れず。 本性は自から浄く自から定まる。 ただ境を見、境を思うが為に即ち乱る。 もし諸境を見て、心乱れずば是れ真の定なり。 善知識よ、外相を離るるは即ち禅、内乱れずば即ち定なり。 外禅にして、内定なる、これを禅定と為す。 『浄名経』に云う、「即時に豁然として還(ま)た本心を得たり」と。 『菩薩戒経』に云う、「我れは元より自性清浄なり」と 。 善知識よ、念念の中に於いて、自ら本性の清浄なるを見て、 自ら修し自ら行じ、自ら仏道を成ずるのみ。 現代語訳 六祖は言った、「諸君、どういうものを坐禅というのか? この法門の中には何のさまたげもさわりも無い。 外界の一切の善悪の対象に対して、心の思いが起こらないのを、坐という。 う内面的には自性を見て心が不動なのを、禅という。諸君、どういうものを禅定というのか? 外界の姿形に執われないのが禅であり、内心が乱れないのが定である。 外界の姿形に執われれば内心は乱れる。 もし外界の姿形に執われなければ、心は乱れない。 人の本性はそれ自ら清らかで安定している。 ただ外界を見たり、思うために乱れるのである。 もしあらゆる外界を見ても、心が乱れないならば、それこそ真の定である。 諸君、外界の姿形に執われないのが禅であり、内心が乱れないのが定である。 外に対しては禅であり、内心は定であるのを禅定というのである。 『維摩経』に云っている、「即時に豁然として還(ま)た本心を得たり」と。 また『菩薩戒経』に云っている、 「我れは元より自性清浄なり」と。 諸君、一瞬一瞬の心の働きに於いて、自らの本性が清浄であることを見て、 自分で修行し、自分で仏に成るだけだ。
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