- 大学って行かなきゃいけないの?
31 :マジレスさん[]:2020/01/29(水) 10:47:03.46 ID:qO5TF9dd - 本人の努力。それは苦痛を伴う事の無き努力ではあるが
大学へ行けるなら行った方が良い。 大学が貴方に何かを与えてくれるかといと、それは予測可能な物だ 学士、資格、専門知識など、それはそれで大切ではあるのだが 1番、大学へ行くメリットは(意識を持って大学へ行く場合) 人生最後にして強力な友達と、人脈を作れる場所というところだ。 大学へ行ったら「あいつとは相性が合わない。だから嫌い。話もしたく無い」と考えると 後々の人生の損失になる。 嫌いなタイプの奴でも、卒後時々電話して「久しぶり!最近どう?」と語れるような 人間関係を作り、増やすべきなんだよ。それが長い人生の中で自分の人生にプラスになる事があるからね。 自分も歳を重ねて社会的存在として変化して行くが 彼らも社会の中で社会人として変化成長していく、その中には在学中には想像も出来なかったような 政治力を有する奴も出て来るんだよ。人生は変化するからね。 学部生だけでなく、それぞれの講座でも一般常識を抑えた上で卒後も何かしら ご挨拶程度は出来るぐらい、「時々遊びに来いよ」と言われるぐらいの人脈形成は必要だよ。 自分が高い能力を持つ事が出来ない人間になったとしても(後にソレに気づいたとしても) 自分より高い能力を持っている人達が、自分の側に回ってくれるならば それは君が「高い能力を持った人」という事なんだ。 大学は中学、高校とは違う。社会人になる為の地盤固め。
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- 良い自殺方法はないか
164 :マジレスさん[]:2020/01/29(水) 11:05:40.02 ID:qO5TF9dd - >>162
同意 自由意志と自主独立性の元に実存を考えられない人達 つまり「普通はこうでしょ?」という理由無き原理主義にとらわれすぎて 社会を全体主義と深層心理で捉え、順応主義者として屈服する勇気無き者。 人の目を気にするとか、知性的な親に育てられなかったとか 二項対立的に全てを判断する人やオルタナティブ思考の人の中で生きて来た人は 一度真剣に考えてみるといい。 貴方達は、実は社会病理の被害者なんだよ!
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- 人生の先輩助けてくれ
10 :マジレスさん[]:2020/01/29(水) 11:20:17.83 ID:qO5TF9dd - これは「共依存関係」を無意識であなたが望んでいるという
ちょっと心配な認知心理学的、社会心理学的原因があるように見えるよ あるシンクタンク(国政にも参与する研究所)がLINEでの不満や 飲食店、販売店などへクレームを入れた方々の約9割が 1、寂しい 2、手がかりが無い 3、見えるのは人の粗ばかり という手順を踏んでいる、没個性主義と言葉の自動機械という人格を示唆すると 発表していた。 特に分かりやすい例がネトウヨという存在だが、あれは 実は自身の人生の満たされなさというコンプレックスを持ったままのラウドマイノリティ が、何処かにターゲットを無理やり作り(人の粗を探して) 一生懸命、攻撃する事により、「自分が自分である確からしさ」を手に入れたいという 哀しい行動なんだよ。 最終的に何が言いたいかというと 「人間は敵を作らなければ生きていけない」というタイプがいるんだよ。 人の信条に何かを言う気は無いが、一つだけ言える事がある 常に敵を作らなければならないメンタリティは、その人が幸せになるチャンスを失う。
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- 悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】78
913 :マジレスさん[]:2020/01/29(水) 13:17:45.09 ID:qO5TF9dd - >>909
横レスゴメン 私の親戚の話なんだが施設長から毎日連絡が来てね 介護スタッフへの暴力について問題になった。 親戚は88歳の認知が入っている男性。女性利用者が多い中、1人だけ孤立する男性利用者 だったのだが、、、、ここまで話すと多くの人は 「利用者の暴力って言っても相手は年寄りの爺さんでしょ?」という認識しか無いんだな。 実はこの爺さん(私の親戚)は何十年もテコンドーの師範をやっていた有段者。 そんな爺さんが認知症になったんだから、もう手に負えない。 寸止め無しで介護スタッフを殺しにかかるからね。 結局、私が引き取って在日韓国・朝鮮人の方々と毎日雑談の輪に入れてあげたんだけど 韓人が近くにいると暴力は止まるんだよ。不思議だね。認知症って。 言いたかったのは介護スタッフさん達は「加害者側」として報道される事が多いが 「加害者」になる何年も前から「被害者」だったという事を教える人が少な過ぎる という事だけ。
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- 人生の先輩助けてくれ
13 :マジレスさん[]:2020/01/29(水) 20:05:46.24 ID:qO5TF9dd - >>12
どんな人でも、どんな環境でも視線を変えて接すれば(心の中で精神的距離を開けて) どんな人も「人間観察」の実験台、観察の対象として「下々の民」と見るぐらい あなたの器を大きくすれば、長い人生の中で有益な学びの場になる。 学校でも友人関係でも職場でも、その小さな帰属社会が世界の全てだと思うから 無駄な抑圧を与えられるんだよ。 でも世界は広い。一生同じ学校や友人関係、職場に存在する訳では無い。人間というのは。 彼らを人間観察のモルモットとして距離を開けて観察すれば それは君の人生に有益な情報、タギングとして後々役立つ事はうけあう。 良い事を言ってくれる人だけが、友人では無い。 あいつと俺とでは何処がどう違うのだろうと心の中で考えるのが人間の教養なんだ。 そんな経験を積み重ねた人が社会の中で不幸を選択する事は無い。将来にね。
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