- 生きるのに疲れた
1 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 08:49:54.42 ID:xSMwmM0w - 俺のクズ人生を語り出したら膨大な長さになってしまうが、
そもそも初めからついてなく、生まれたときから内臓に疾患があって、 普通の人間にあるもの一個取ってる。病弱で無理をするとすぐに体調崩す。 とは言ってもガリではなくピザ。特に親がすぐ食べ物を買い与えるので小さい頃からデブだった。 この親は異常に過保護で、異様なほど世話を焼き、俺から自主性を奪った。 今でも憎んでいる。 小さい頃友達と遊んでいると、母(デブで図太い)が寄って来て皆の見ている前でダブダブズボンを 足もとまで下ろしてパンツを直して上げるなんて日常茶飯事。 糞したあとケツ拭くのも小学生までやってもらってたし、全てがこの調子。 小学校の夏休み自由研究はオヤジ(左翼系インテリ、大学院卒)が熱心にやってきて、 植物採集して自分で勝手に押し花つくって出してた。 もちろん自由工作はオヤジが制作。俺は手伝いもしない。 ある年自分でやると必死に主張して作ったが、根性の悪いいじめっ子(後DQN)から 「おや、○○今回はやけにしょぼいなww」などと言われる始末。 性格は神経質で気が小さいくせにケンカ好きで他人にちょっかいだし仕返しされてふるぼっこ、逆恨みというカス。 しかも異常に執念深い。 二十五年間に親友などというものなど出来たことがないが、 小学校では話し相手すらいなくて、孤立し、マジで友達が欲しいと一人泣いていた。 DQNグループに必死でくっついていたが、缶蹴りで俺が鬼のとき皆で家でゲームされてたりざら。 学校でケンカするたびに親が相手の家や学校に乗り込んで怒鳴るから、 「ちくり」扱いされて、どんどん孤立。 しまいにはDQNグループがイジメてた香具師がいつの間にか俺がいじめてたことにされて、責任おっかぶる。 確かに俺も参加してイキがってたが、相手の親からは俺だけが悪いみたいに責められてボロボロ。 以下、物語は>>2-9へ
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2 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 08:50:23.67 ID:xSMwmM0w - 私立受験失敗後、中学校でも状況はかわらず、初めて恋をしたが、うっかり偽友達に相手の名前を漏らしたばかりに、
その次の日からその娘にシカト。 卓球部に入るがDQNの巣窟で、シゴきに耐えてきたが、先輩が卒業(特攻服&カラーリングで出席)したあと、 同級のDQNぶりに耐えられなくなり、退部。一番楽で事実上活動していない吹奏楽部にサボるためはいるが、 俺が入った途端、担当先公が変わって、やけにやる気まんまんの体育会系オヤジに変更、 全員揃ってのやる気無さを徹底して攻めるツカミの後、猛烈部へ。 やる気もないのにでかい楽器肩に提げて、卒業式で演奏したもんだから卓球部の先輩からも裏切り者扱い。 つらいばかりの中学生活で、そのうちクラスでイジメやってたDQNが、ターゲットを俺に転換。 俺は何かのきっかけでオヤジとケンカし、「オヤジが謝らないなら学校に行かない」と宣言、(要は逃げた) そのまま卒業までヒキコモリ生活へ。 昼夜逆転ヒッキーを一年半して、高校に入るが、内申点が低いため、行ったのは県下最低のDQN校。 そこは男子生徒の半分が一年で珍走に入って退学するというところで、散々おもちゃにされた。 特に女子にからかわれ、名前呼び捨てで叩かれたりして、そのストレスからか、目がおかしくなった。 これは十年深刻に病むことになる。 結局出席不足で停年、オヤジが気を使って、県北にある田舎の私立校へと転校へ。 俺は出直したつもりでいたが、最初のツカミで、ボンクラ学校の雰囲気に染まっていた俺はDQNを気取り、 自己中で傲慢な性格もあり、見事にクラスで孤立した。 殆ど友達もできず、最悪なことに実験学年でクラス換えがなかった為、三年間その状態。 しかも、最初に俺にちょっかい出してきたバカ女に、俺はその女の英検の解答用紙に細工してやったんだが、 バレバレで、その事を逆恨みされ、女子グループから三年間陰湿な女のイジメでゴミ扱い。 さらに学内の頭オカシイ香具師にも目をつけられ、ずっと嫌がらせされてた。 当然彼女なんかできない。思えばかわいい娘多かったんだがなー。
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3 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 08:50:42.68 ID:xSMwmM0w - ストレスから昔俺を虐めてた地元のDQNの家に、留守をねらって空き巣を働いた。
盗んだカバンにクレジットカードが入ってたから、繁華街で散々使ってやったが、二週間後K札がうちに。 俺は逮捕、起訴され、家裁までいった。 相手の親に三十万払って示談するが、事実は笑い話として町中のDQNたちの間に広まり、 俺は自宅付近の外を歩くことさえ怖くなる。 センター試験のとき、先述の工作をからかったDQNからコンビニで女子と一緒に侮辱され、 試験票をやぶくと泣いてオヤジに止められる始末。 学校も二週間停学くらって、校長、担任、教務、親との面談。 オヤジがネオ麦茶の件を引き合いに出して「うちの子もいつかこうなるのではと思っていたが・・・」と マジ泣きして空気が凍りつき、何とか何ごとなく復帰することができたが、その日から針のむしろ。 朝登校するたびにクラスメートに事件がバレているのではないかと鉛を飲み込んだような気分。 学校側の配慮で事件は内密にしてもらったが、ダブりなこともあり、 いつかバレて「ああ、やっぱりね」という目で見られるのではないかと気が気じゃなかった。 そんな地獄のような三年間を終えて一人暮らし、某地方国立大学へ。頭だけはそこそこ良かったのだが、救いにはならなかった。 目がおかしいのだ。 DQN高でいじめられて以来、本を読むと「あれ?」と違和感を感じた。 鼻あて無しの今風の若者がかけているような眼鏡をかけると、異常に目が疲れて、痛く、 読書はおろか陳列棚が見れなくて買い物すらできないのだ。 二度目の高校では福田首相がかけているようなタイプの度が弱い眼鏡をかけて、 読書だけそれでやって、外では別の眼鏡という二重生活を送っていたが、 Yahoo掲示板の政治系カテで煽りやに乗せられ、煽り耐性のない俺はムキになって反撃するが、 弄ばれ、精神的にダメージを負うとともに視力が著しく低下。ド近眼に。
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4 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 08:51:09.27 ID:xSMwmM0w - それで眼鏡を変えてみると、外用はもとより、読書用の眼鏡でも本が読めなくなっていた。
福田眼鏡を買うが、目は痛くないのだが、語句と語句の連関、文章と文章の連関が頭に入ってこず、 何度1ページを読んでも理解できない。 これでは大学で勉強などできるはずもない。 メガネを十個くらい買って色々試してみるが、無駄。 眼科に行くが、最初は気のせいですと言われ、大きい所にいくと、冷たい医者に原因が分からない、 一生治らないだろうと言われ、ショックを受ける。 それから病院めぐりが始まるが、眼下では脳神経外科に行ってくれと言われ、 脳神経外科では眼科に行ってくれとたらい回しに。 すっかりヤケになって荒れた俺は大学にはほとんど行かず、親に電話で怒鳴って金を無心して 風俗三昧。昼夜逆転し、深夜2chにのめり込み、某板でコテ付き職人として活躍する事に唯一の生きがいを見出す。 一年後、受験しなおして都内のW大学の夜間に進学。 しかし、目は一向に良くならない。親と毎日電話で怒鳴り合い。 「帰って来い!」「勉強しないなら大学いくな!」 「目がみえんのにどうやって勉強するんや!」 こんな調子。北○大学病院の眼科が権威だということで最後の期待をかけて見てもらいに行くが、 「異状なし」。 精神科に回された俺はメンへラ生活を始めることとなる。 初めは統合失調症の薬をだされ、薬の種類をあれこれ変えて、ずっと飲み続けるが、 目がよくならないばかりか、この手の薬の副作用で体の調子までおかしくなって、薬漬け。 大学にも当然ろくにでない。 もともとゼミがないこともあって、友達(女含む)もろくにできず五年間を過ごすことに。 一方、2chでは荒らし・煽りをスルーできない性分ゆえ、ずるずる見え見えの自演を繰り返し、 ますますクズにおもちゃにされ、最後は支持してた別のコテ(オフで会った経験あり)の連中に まで叩かれ、人格を否定され、追放。マジで自殺を考える。
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9 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 17:43:10.00 ID:xSMwmM0w - >>4つづき
自棄になり、この事からある活動にのめり込むことになる。それはヤバすぎてここではかけない。 結果、冗談ではなく、公安警察に、マークされ、アパートに盗聴器をしかけられることに。 三年たって、オヤジが療養に実家に帰って来いと言い、とある心療内科でSSRI(うつ病の新薬)を試したところ、 症状に改善が見られた。統合失調症ではないらしい。 目が治った俺は本を読みまくり、学校でも積極的に授業に参加して調子に乗ってはしゃぎまわっていたが、 幸せは半年しか続かなかった。 ある事件で留置所に入れられた俺は、出てきたところで、公安に嵌められ、精神病院に緊急入院する事に。 ここから先は話しても被害妄想としてしか取られないだろうが、「本当にあった怖い話」なのだから仕方ない。 精神病院の中では公安の警官が「看護師見習」として入り込んでいて、 隔離室でガチガチに拘束された俺に 「俺たちに逆らわねえか!!」「もう○○さんに逆らわねえか!!」と注射針を刺しまくって拷問。 泣きを入れた後も、陰茎(尿道)に意味もなく異物を挿入されたり、必要のない点滴されたり、 劇薬飲まされたり、二か月に渡って拷問を受けた。 担当医はびびってしまっていて、「統合失調症」という病名をつけ、親に説明し、 俺には「お前は重症であと二年は退院できない」というばかり。たまに小声で「転院すれば」という。 親は完全に俺が基地外になってしまったもんだと思い、 地元の病院に転院させる。そこの院長は、洪庵から手は回ってなかったが、 事実を話しても「そんなの誰が聞いても妄想w」と決めつけ、
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10 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 17:43:54.28 ID:xSMwmM0w - 薬の量を増やすくらい。また、SSRIのせいで統合失調症が発病したと誤診し、処方してくれない。
保護入院と言う形で、医師の了承がないと永久に退院できない。 中では本が読めない。 親も信じてくれない。 やけになって暴れると、複数人で押さえつけられて狭い独房に入れられ、何日も閉じ込められる。 本が読めないからすることもなく、狭い部屋の中を一日中歩き回るくらい。 うんこをするときは女性看護師にうんこを見られ、それから独房の外で水で流すという恥辱。 俺は絶望のあまり面会に来た親に「自殺する」というと、母は涙を流して「ようやくの思いでここまで大きくしてきたのよ」 という。そしてオヤジに「あんたがうつ病の薬なんかもらってくるから」。 結局、半年以上精神病院に入れられ、退院するが、苦難はまだまだ続く。 親は、ヤバい件に関わってしまって、公安のマークを受けたと話しても信じてくれない。 俺が必死に訴えると「じゃ謝れ!」というのでしぶしぶ謝る。 それで表面的には信じたようだが、薬の副作用で性器がおかしくなり、一生女が抱けない体になってしまった。 さらに、SSRIを飲んでも本が読めなくなっている。 好奇心が消え、ぼーっとするばっかりで何もやる気が起きない。 俺はやけになり、ある病院で喚いていたところ、院長のTというジジイが来て、 自殺を恐れたオヤジの了承の下二週間の強制入院へ。 その後東京に戻るが、大学どころではなく、何度も実家に帰り、結局五年で留年して卒業する事になった。 そのTというジジイは「政財界に顔の利く大物」だそうで、公安の件を話したら、 「わしがうまくしちゃる」と大法螺をふく。 俺は実家で薬を変えても目が治らず、公安の監視も続いて、やけになって喚いていたが、 Tジジイに公安との取引を頼みに行ったところ、ジジイは「それよか入院しろ」という。 入院すればジジイの儲けになるからだが、オヤジは裏切って「全部お前の頭の中で起きたこと」と決めつけ、 そのままごっつい看護師に数人で押さえつけられ、入院へ。
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11 :自殺希望[age]:2011/04/04(月) 17:44:18.19 ID:xSMwmM0w - 中での生活はほんと酷かった。
本が読めないのですることがないのは勿論、一日中の殆どの時間を、 剥き出しの便所つきの、木製の狭い独房の中に閉じ込められて過ごす。 夜はでっぷり肥ったゴキブリが何匹もカサカサ、外にでると吉外ばっかで、 特に躁病のDQN患者に散々いじめられた。医師に相談すると逆恨みしてさらに虐待された。 看護師はまるで刑務所看守みたいで囚人のように扱われた。 そして統合失調症系の重い薬を飲まされ、ふらふらにされる日々。 そんな生活が二カ月も続いた。 出た診断は「人格障害」。 Tの糞ジジイもオヤジも目がよくなる薬は飲むな、統合失調症の薬を飲め!と命令する始末。 俺は東京に何とか逃げ帰り、別の医者を探してSSRIを貰うことにした。 その後目は入院して電気ショック療法で脳に電流を流すと、劇的に改善された。 完全には治らなかったが、眼鏡の種類問わず、薬なしで本が読めるようになった。 ここまで十年。 長かった。 だが安息の時はまだ訪れない。 俺は公安の件で将来の就職に不安を抱きつつも大学院受験へ。 するとW大学の修士第一次試験に受かり、大喜びする。 しかし、ゼミも出て無く、学部時代まともにアカデミーの基礎を受けていなかった俺は研究計画書が 学問的でないため、二次試験で落第。この時ほど落胆したことはなかった。 本気で公安が裏で手をまわした為ではないかと疑い、何もかも疑わしく見えた。 しばらく鬱だったが、やがて強制入院させ、公安とも真剣に戦おうとしないオヤジへの怒りが溢れ、 俺は親父の職場に脅迫電話を繰り返すに至った。 「○○をクビにしろ!でなきゃダガーナイフで生徒皆殺しにすっぞ!」 高校教師だったオヤジはこれで免職されることとなる。 そしてその後ガン(ステージ4)発覚。
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