- 反ワクチンについて考察するスレ Part.5
833 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2021/10/20(水) 03:12:41.38 ID:7oyMcr2n - ビデオ『ロシア革命とユダヤ人』(エルヴェ・リッセン)
http://blog.livedoor.jp/dodard/archives/15476625.html たった30年間でロシアだけでも最低 死者3千万人です 3千万人ですよ! ロシア それもソ連の統計学者が出している数字です 死者 3千万から6千万人という規模です 私有財産の禁止と集産主義の実現だけが目的ではなかった 全人類の解放 即ち国境、宗教、国籍、伝統の廃止が歌われたのだ そうやって人間同士の差異をなくすことで 完全な理想社会が花開くはずだった レーニンとトロツキーの統率下 一握りのボルシェビキがほとんど流血を起こさずに権力を掌握した 『ユダ以下百科事典』によればモスクワのユダヤ人住民の数は 1926年には13万1千人 1933年には22万6千人 1939年には25万人だった 1922年 共産党最高会議幹部会25人のメンバーを『プラウダ』紙が肖像入りで紹介した 11人はユダヤ人 ロシア人は8人 カフカス人3人 ラトビア人3人 1923年の第12回党大会では 政治局6人のうち3人がユダヤ人だった ジノヴィエフ、カーメネフ、そしてトロツキーだ 残る3人はレーニン[祖母がユダヤ人] スターリン そしてリーコフだった だが彼らの下のボルシェビキ幹部におけるユダヤ人の数は数えきれない サンクト・ペテルスブルグのチェカの初代議長はモイーズ・ウリツキーだった ウクライナ出身のユダヤ人だ 1918年3月下旬から8月下旬にかけて約5千人の処刑を行った 彼は血も涙もない恐怖政治を行ったと ユダヤ人歴史家アルカディ・ヴァクスベルグ1995年に書いている 「王党派の死に様を見るのは楽しくなくなった」とウリツキーは言っていた 「誰一人 獣的な死に対する恐怖を見せないからだ」 8月末 彼は王党派の学生に暗殺された 暗殺後の報復行為は凄まじかった わずか数週間でチェカは 主に貴族や聖職者を1万から1万5千人を処刑した チェカは拷問や裁判抜きの恣意的処刑を大いに活用した セバストポールでは反革命派が破れた後 疑わしい者は絞首刑にされた ナヒーモフ記念碑には 往来でいきなり処刑された数十名の死体が吊り下げられた キエフでは 摘発協力者の4人に1人がユダヤ人だったとソルジェニーツィンは書く だが囚人の運命を決定する20人の委員のうち14人はユダヤ人だった 1919年8月にキエフ市を占領した白軍は大量の死体が埋められているのを発見し 毎度のように 最初に銃殺されたのはロシア人エリートだった 犠牲者は全裸で処刑用に整備された倉庫に連れて行かれ 腹ばいになるよう命じられ うなじを撃ち抜かれた 秘密警察内のユダヤ人ボルシェビキのリストは長大だとても列挙しきれない ソルジェニーツィンは ユダヤ人歴史家レオナール・シャピロの言葉を引用している「チェカに目をつけられた不幸者は誰であろうとユダヤ人判事に裁かれ その命令によって銃殺されることがほぼ確実だった」 ユダヤ人歴史家アルカディ・ヴァクスベルグも自著でそのように説明している 例えば 経営者がユダヤ人従業員と裁判で争った場合ユダヤ人従業員は必ず勝訴した 判事は反ユダヤ主義と非難されることを恐れたからだユダヤ人同士の癒着をほのめかすだけでも訴えられた
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