- 【エボラ】海外のニュース・論文等を和訳するスレ
63 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/04(土) 00:44:21.42 ID:RLeDE/o5 - http://www.newsweek.com/how-hospitals-test-ebola-274898
病院はどうやってエボラの判定をするの? By Douglas Main 2014年10月3日 at 10:15 AM 保険当局は合衆国で最初にエボラと診断された患者をテキサスの病院で扱っている発表した。 しかし、ある人がウィルスに感染しているかどうかは実際にはどのようにしてテストされるのだろう? Thomas Ksiazk は Galveston にあるテキサス州立大学のMedical Branch の教授である。 エボラについての精力的な研究をしてきた。彼によればテストは 実時間RT-PCRあるいは、 逆転写ポリメラーゼ反応と言われる方法で行われるそうだ。 この方法では、医者や医療専門家はまず患者の血液サンプルを取得する。 次にその血液にRNAをDNAに変換するための酵素を加える(RNA はDNAに書かれた"手順"に したがってたんぱく質を作るための化学的な情報伝達の役目を持っている)。 次に、エボラウィルスだけに特有の遺伝子配列を標的とする"プライマー" を付加する。 それからPCRマシンを使って混合処理が実行されるが、これによってエボラ遺伝子を増幅する、 あるいは何度もコピーする(もしエボラ遺伝子が存在すればそうとわかるし、存在しなければ何も 起こらないのでテスト結果はネガティブ - エボラに罹っていない、と判断できる)。 最後に化学プローブが追加されてこのようなDNAの断片をつなぎ科学者にエボラウィルスが 存在することを教えてくれるのだ、とKsiazekはニュースウィークに教えてくれた。 これらのプロセス全体で3時間から4時間程度かかる、と彼は付け加えた。 ダラスの人の場合だと、医療当局は最初、彼が9月26日に示した症状と彼が最近リベリアに行っ たことを結びつけて考えなかった。 彼が Texas Health Presbyterian病院に9月28日に二度目に戻ったとき、彼は発症して4日経過 していた -- これは PCRテスト結果がポジティブになるには十分長い時間です、とKsiazek は言う。 実際、PCRテストは非常に敏感でほとんどの人々が病院で症状が出ている時点であればウィルスを 検出することができるとKsiazekは言う。彼は CDC の Special Pathogens Branch の長だったことが あり、エボラのようなウィルスの閉じ込め作業を毎日やっていたのだ。 病院自体でエボラのテストを行うわけではないことには注意する必要がある。少なくてもアメリカ合衆国 においては現時点ではそれはできない。そのかわり彼らはサンプルを用意ができた段階で CDC研究所 ネットワークに所属している地方施設に送る。今回のテキサスの場合だとサンプルはオースティンにある State Health Laboratoryに送られた。 PCRマシンは大体普通のパソコンの二倍くらいの大きさで割と簡単に持ち運べるが、機種にもよるが 数万ドルもするんだ、とKsiazekは言う。 このようなマシンはシエラレオネ、リベリアそしてギニアのいくつかの研究所には存在するが動かすには 電力が必要になる -- そしてこれらの国々ではこれにはあまり信頼性の高くないガスタービン発電機を使うことになる。 この事実、そして状況によって資金が欠乏していることがアウトブレークを閉じ込めようとする努力の障害になっているんだ、と彼は言う。 ELISAと呼ばれる手法もまたエボラ診断に利用することができるが時間がかかり、少なくともRT-PCRで 得られる精度での結果を得るには少なくとも100倍の数のウィルスが必要になる -- つまり、感度は悪く、 PCRのようにすぐにウィルスをつかまえることもできないのだ、とKsiazekは言う。 PCRの手法がエボラ診断に最初に広く利用されるようになったのは2000年のことである。 いくつかの研究者の集団は、より早く、より持ち運びに便利で、家庭で妊娠テストをような感じの使い捨ての 道具を使ったテストができるような研究を続けており、Science magazineは先週これを伝えている。 そのような診断方法のうちの二つが何週間か後にテストされることになる予定だ。 エボラウィルスはアフリカでは数十万人を殺す可能性があるが、Ksiazek はそれがアメリカ合衆国に広がることは心配していない。 それは CDC は迅速にエボラ診断を行うことができるし、ウィルスに感染した患者をすぐに隔離できるからだ。 そして、エボラは実際には感染力がそれほど強いウィルスとは言えないのだが、その理由の一部として、 すでに感染している人との密接な接触が必要だからだ、と言う。
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65 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/04(土) 19:38:52.34 ID:RLeDE/o5 - http://www.washingtonpost.com/news/to-your-health/wp/2014/10/03/its-positive-for-ebola-dreaded-words-set-cdcs-emergency-operation-in-motion/
'エボラ陽性だ'。この恐ろしい言葉でCDCの緊急オペレーションが動いた。 By Amy Ellis Nutt October 3 at 5:51 PM アトランタのCDC緊急オペレーション対策室はとても静かだった。火曜日の午後遅く、10人以上のCDCスタッフがエボラの疑いのあるトマス・エリック・ダンカンについてダラスからの最新ニュースを聞くために集まっていた。 David Kuhar CDC感染管理医療官は、ここでニュースを聞いていた。 彼はすぐに飛行機に乗らなくてはならないことを知っていた。普通ならバイクに乗るはずなのにこうして車で仕事にきたのはそれが理由だ。会議電話回線には、地方保険担当官とテキサスからの州担当官がつながっていた。 そして彼らはダンカンを担当している研究所の結果についての知らせを聞いた。 "彼はエボラ陽性だ" CDCを全員を震え上がらせる言葉だったが、実際には予期されていたことだった。 全世界でも一流の捜査官の何人かが動き始めた。ここに、伝染病の専門家 Kuhar も含まれていた。 彼はエボラの専門家でアフリカに行ったこともある。2012年の MERSのアウトブレークではアラビア半島に召集がかかった。危険な伝染病は全世界に広がり、そこにはアメリカ合衆国も含まれていた。 合衆国でのエボラ発症は常に可能性のあることと考えられていた -- たぶん避けることはできないだろう、そう CDCのチームは感じていた。いまのところ患者がゼロに止まっているだけだ、と。 電話会議が終了する前に Kuhar は既にオフィスを離れていた。数分もせずにCDCは彼の出張手配をしていた。 9:50のダラス行きのフライトが予約され、彼は支度のため急いで家に戻った。一時間後、彼は空港のそばの格安駐車場に2002のホンダアコードを止め(彼はすぐに家に帰ってこれないことは分かっていた)、メインターミナルまで歩いた。
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66 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/04(土) 19:40:49.27 ID:RLeDE/o5 - 少なくとも最終的には10人になるメンバーのうち、7人がダラスに飛んだ。(ダラスのCDCスタッフの数は事態の経過につれて変化したが、そこには疫学研究者、疫病情報官、医者、看護婦などが含まれていた、とKuhar は言う)。
チーム全員が予定をキャンセルした。Houston を根拠地とするメンバーの一人は、すぐに車に乗りダラスへと向かった。 連絡調整官 Dave Daigle は妻と過ごすはずの休暇計画と、フロリダにいる彼の母親たずねる計画をすぐにキャンセルした。 チームがダラスにあるNorth Central Expressway のCourtyard Marriottホテルについたときには、深夜を過ぎていた。 エボラ確定後、24時間以内にチーム一同はテキサスHealth Presbyterian病院から1マイルしか離れていないその場所にいた。Marriottはとりあえずの非公式対策本部となった。 Kuhar は翌10/1水曜日の朝6:30に起きた。チームはロビーに集合しオートミールとフルーツ、コーヒーをとった。 7:30には病院にいた。8時には何十人もの郡と州の保険担当官と一緒に会議室にいた。Kuhar が "顔合わせと挨拶" と呼ぶことを済ませるためだ。 "みなさんをサポートするために私たちはやってきました" 彼は不安そうな人々に言った。"私たちの最優先事項は、接触者の追跡です - 二次感染のリスクのある人々に会うことです"。 発言は一時間にもおよんだ。低くやわらかな声の Kuhar は穏やかな気質を持っていた。 最後に彼は質問を受け付けた。質問した者はわずかだった。彼はそれにあまり驚きはしなかった。 彼らにとってこれはまったくの初耳で非常に混乱しているだろうことを彼は理解していた。 しかし彼は、この事態に対処するプランはすでにあることと、エボラに接触した人々を扱う厳格な手順があること、をはっきりと説明した。 CDCチームがミッションを開始したかどうかもはっきりしないうちに、彼らは別行動をとる必要があった。 "分割して制圧すること" Kuhar はそう言い表した。捜査官の何人かはダンカンが発症前から訪れていた病院で発症までの経緯を調べていた。 他のメンバーはもっと面倒な作業に当たっていた: ダラスでのダンカンの足取りを徹底的に調べることである。 引き続く12時間かそこらのあいだ、CDC捜査官の半分は病院に留まって "接触者一覧" リストを作っていた。 これはダンカンと接触したことが分かっている人々のリストで、ダンカンに最初に症状が出た時、Kuhar 言うところの "感染リスクが生じる最初の時" よりも後に特に重点が置かれている。 "私たちは(ダンカンの)家族とまず会う必要がありました" 彼は言った。 チームはダラスでの"接触者一覧"を作る手伝いをするため地方保険局と連携した。二つのリストの中にはダンカンと接触した人およそ100人の名前があった。チームのメンバーは電話対応したり個別に聞き取りを行うためダラス中を回っていた。 病院はすでにリストを作り上げていたので彼らを見つけるのは容易だった。 ダンカンにエボラ陽性が出た後48時間経過した木曜日の昼までには、ダラスのCDC捜査官はリストのすべての人々との聞き取りを完了した。 あとは地方・州の保険担当官と協力して直接接触のあったことが分かっている人々の体調を日単位でチェックしていくことになる。 その日の夕方の5時までに担当官はYoungor Jallah と Aaron Yah そして彼らの四人の子供たちへの二度目の訪問を済ませていた。 全員がダンカンと接触していたが、場所はダンカンのガールフレンドLouise Trohの家で、時間はダンカンがそのIvy Apartmentsから救急車で病院に運ばれた時であることがわかっていた。 6人全員 - Louise Troh は Jallah の母親なのだ - は高い感染リスクがあった。しかし木曜の夜時点で、全員体調に変化はなく発熱もしていなかった。 リスクの高い人々のリストをもっと低い人たちにまで広げることはチームの次の大きな仕事だった。 感染リスクが最も高い人々を引き続く数週間詳しく観察することが必要なのは明らかだった。 "接触者一覧"のリストの追加は減っていった、これら最大の感染リスクを持つ人々の危険は少なくとも現時点では減ってはいない。 "あの夜 ER(緊急治療室)で働いていたすべての人々は、誰であれ感染リスクがある" と Kuhar は言う。 "まずは少しでも危険が及ぶ可能性のある人をできるだけ広くとらえて、それから少しずつ少しずつ対象を絞りこんでいくわけですよ"。
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