- ☆★ 杉本有美 ★★ part8
708 :ファンクラブ会員番号774[sage]:2009/11/04(水) 00:49:52 ID:fyyic3HE - オリンピア神殿の主神は最高神「ゼウス」
ギリシャといえば「オリンピック発生の地」、そして「近代オリンピック聖火採取の地」であるオリンピアを思い出す。 しかしオリンピアの場所はアテネより遠く、ペロポネソス半島の西部にある。付近に見るべき観光地が無いこともあり、観光地としては一般客受けしていない。 そうした事情もあってここの絵葉書などは、遺跡に隣接する博物館の売店で売っている以外土産物売り場は一軒も無い。しかし「オリンピア」こそ、ギリシャ観光の目玉だと思っていた私の予測は的中した。 主神「ゼウス(最高神・雷と天空の神)の神殿」はBC450年頃、ギリシャ建築の粋を集めたドーリア式の神殿で、内部の祭壇に置かれていた 「象牙のゼウス像」は、今は無い。神殿は地震によって倒れ、彫刻などは博物館に保存・復元されているが、柱の石は大部分倒れたままの姿で放置されている。
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709 :ファンクラブ会員番号774[sage]:2009/11/04(水) 00:51:32 ID:fyyic3HE - オリンポス山とオリンピア
オリンピックの聖火を採取する場所は、「ヘラ(ゼウスの妻)神殿」の前で競技場に向かう所にあった。3万人(本にはこのように書いてあるが少々オーバー?) を収容できるスタディアム(ギリシャ名スタディオン)は神殿群の東側にあり、石のトンネルを通って競技場に出る。 競技場には今なおスタート・ラインの石板が残り、一周192mのトラックはそのままである。オリンピア遺跡の中には神殿の他、神官の宿舎・大祭時の参拝客のホテル・商店街などの跡がある。 又神託を受けたお礼として寄進した宝物置き場・各種競技の勝者の像や競技者の水浴場と共に、ゼウス神殿を作る前の地母神殿の遺跡も残っている。 オリンピアは2つの河の合流地点で松茂る丘の麓にある。 BC580年頃(デルフィで四年毎の大祭が盛んになった頃)この地を征服したエリス人(北方より移住していた民族)がオリンポス山にちなんでオリンピアと名付け、古い地母神の聖地から「ゼウスの聖地」として寄進した。 競技大会は勿論ゼウスに捧げる神事であったが、素晴らしい競技施設が出来上がったため、ギリシャ全土の競技大会はその後「デルフィ」から「オリンピア」へ主会場が移動した。
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710 :ファンクラブ会員番号774[sage]:2009/11/04(水) 00:52:20 ID:fyyic3HE - 神殿の中央部に立つと、倒れた石が元の形に組み上がってゆき、2,400年前の荘厳な、重量感あふれる神殿としてよみがえり、しばらく立ち尽くした。
世界の遺跡巡りを始めて15年、こんな息の止まるような気持ちになったのは今回が2度目の体験であった(1度目は、中国五台山の「佛光寺の東大殿」に唐代の木造建築を見た時であった)。 総合芸術としての建築は、文明が頂点に達した時素晴らしく開花するものだと、東西の建築作品を通じて実感した次第である。 ギリシャといえば「オリンピック発生の地」、そして「近代オリンピック聖火採取の地」であるオリンピアを思い出す。 しかしオリンピアの場所はアテネより遠く、ペロポネソス半島の西部にある。付近に見るべき観光地が無いこともあり、観光地としては一般客受けしていない。 そうした事情もあってここの絵葉書などは、遺跡に隣接する博物館の売店で売っている以外土産物売り場は一軒も無い。しかし「オリンピア」こそ、ギリシャ観光の目玉だと思っていた私の予測は的中した。
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711 :ファンクラブ会員番号774[sage]:2009/11/04(水) 01:02:23 ID:fyyic3HE - 負けたぜ。黒い目の親父には負けたよ。
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713 :ファンクラブ会員番号774[sage]:2009/11/04(水) 01:12:49 ID:fyyic3HE - 負けたぜ。黒い目の親父には負けたよ。
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