- 蒸気機関車の歴史
272 :鈴木[]:2011/04/18(月) 22:18:35.96 ID:oKcfaJL2 - >>267
A. トレビシックの勲功は、 1、ワットの大気圧エンジン(1気圧)に対抗して、高圧エンジン(せいぜい3気圧?)の実用化。 大気圧エンジンは概ね3階建てビル程度の大きさになるが、高圧エンジン開発によって小型エンジンが可能になる。 これに拠ってエンジンの車両積載が可能になった。 同時に缶爆発の危険も背負った(溶け栓は彼が最初かも知れない)。 付帯的にエンジン排気の空中捨て(排気利用缶通風は彼の発明かどうか未確認)の機関車での優位性確定。 2、小型車載エンジンにより貨車を引く事の実際証明(以前は線路脇固定エンジンとチェーンで貨車を引く案が強かった) B. トレビシックの出自はジョージスチブンソン(炭鉱労働者)より裕福だったが、蒸気機関車は3〜4台作ったのみで破産、 南米逃避するも食いつぶし、ジョージの息子ロバートスチブンソンに、みっともなく拾われて英国に帰れた。 南米では気圧の低い高地の鉱山エンジン技術に従事。帰国して見ると故国では既にスチブンソン機が活躍していた。 C. トレビシックの息子フランシスは名門ロンドン&ノースウエスタン鉄道技師長。 https://picasaweb.google.com/suzukikotaro02/20080601#5208376211251101970 英国標準ゲージ確定の際ブルネルゲージ(約7ft.)と争って1435mm高速機関車開発に意を注ぎ、 結果として英国標準ゲージ=1435mmとなった。 孫達は世界各地で機関車技術に携わった。 D. 日本にはトレビシック直系のひ孫の人がいて、英国トレビシック協会の会長をしていた(鉄道ピクトリアル、1971年4月)。
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