- 【右翼の】宗谷海峡大橋【屍を乗り越えて北に進め】
23 :名無しの車窓から[sage]:2011/04/18(月) 23:08:24.12 ID:6k2/Hv0r - 立花久米蔵は掛川藩の祐筆だったが、事情により脱藩を余儀なくされ、
浪人となり、投獄をも繰り返されていたが、 伝手を頼り伊豆の下田からロシア船に乗り亡命、 後の初代駐箱館ロシア総領事のゴシケービッチとの間で日露両言語を教えあい、 ペテルブルグではヤマトフと名乗り、ロシアの外交官を勤める傍ら 江戸幕府派遣のヨーロッパ使節団来航の際には宿所のお膳立てをし、 寝室の刀掛けや風呂の糠袋の用意に一行を驚かせた。 日本語の講師を経て、明治に入って岩倉具視の計らいで帰国し、 増田甲斎と改名し、仏門に帰依、人に生涯の多くを語ることなく 明治18年に没した。
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