- 愛知県の高校野球+170
614 :名無しさん@実況は実況板で[]:2020/05/23(土) 04:34:37.15 ID:+90Hw/BA - >>613
二人は2年の秋の県大会で対戦している。 プロ注だった左腕の宮本がエースだった1年の夏から公式戦で登板するなど八木は 愛知西シニアから享栄に入った八木は、入部早々からスーパールーキーとして活躍。 1年夏の県大会準々決勝では強風に運ばれたHRで桜丘に破れたが宮本を差し置いて先発を 任されたほど。その後も順調に伸びて当然2年の秋の段階では県下ナンバーワンの左腕の 評価。 一方の小川は中学時代軟式で活躍し、タフな投手として脚光を浴びたが、2年の秋の 段階ではスピードも130キロそこそこで小柄な右腕。公立高校のエースとしてはなかなかの 好投手と言った程度の評価。 その二人が投げ合ったこの試合は成章が優勝候補筆頭だった享栄を小川の好投に加え、 打線の奮起と八木の不調もあって3―2で破る波乱。成章はその勝利を評価されての 21世紀枠での選抜醜状となった。 この試合は球場で観戦したが、昭和55年秋の県大会でやはり優勝候補だった名電が西尾東に 2―3で敗れた試合を彷彿とさせる試合だった。 当時の名電は左腕エースの工藤の他、捕手の山本、遊撃の中村、二塁の高橋と四人も後に プロ入りした豪華メンバー。工藤も西尾東を3安打15奪三振に抑えたが、走者を置いて 浴びた二本の三塁打に泣いた。 西尾東のエース・鈴木寛も非常に素晴らしい投手ではあった。 小川は選抜で初戦勝利、二回戦も平安に負けたとは言え健闘。MAX135キロを少し超える 程度だが、強気の投球が評価されたのは確か。しかしプロがどうのこうのと言う投手では 全くなかった。彼が覚醒したのは創価大学に入学してから。 一方八木は当時からプロ注目。MAXは140行くかどうかだったが、とにかくストレートの 切れがえげつなく、勿論愛知県ナンバーワンの評価だった。
|