- 高校野球レベルの高い都道府県PART32
847 :名無しさん@実況は実況板で[sage]:2012/12/16(日) 01:03:47.57 ID:I1p+0p6g0 - 松坂も神奈川出身じゃないな。
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- 1980年代の高校野球を語ろう15
563 :名無しさん@実況は実況板で[]:2012/12/16(日) 01:53:17.42 ID:I1p+0p6g0 - 上原が2年のとき、沖縄で招待試合があって、その年の選抜で優勝した池田と対戦。
試合内容は両校ほぼ互角で、本塁打も両校1本ずつ。 スコアは8−7だったような気がする。 池田は水野、江上を擁して夏春連覇した83年も招待試合で来沖したが、そのときは興南と沖縄水産が池田と対戦。 興南はエースの仲田幸司(元阪神)が池田の「やまびこ打線」を完封し、5−0で勝利。 池田−沖縄水産は5−1で池田が勝った。 沖縄水産が甲子園に初めて登場したのは84年夏だったが、83年の興南と沖縄水産は「宿命のライバル」といわれ、 興南の比屋根吉信監督と沖縄水産の栽弘義監督がお互い火花を散らすほどヒートアップして、練習試合は一切やらなかった。 甲子園で夏春連覇した池田の蔦監督は試合後に沖縄の地元紙のインタビューを受け、「興南、沖水とも甲子園ではベスト4の力がある」と話していたのが印象に残る。 結局、その年の夏に甲子園に出たのは興南で、沖水は県大会決勝で興南に3−1で敗れたが、沖水のエース比嘉良智はロッテからドラフト1位指名を受け、プロ入り。 仲田幸司も阪神からドラフト3位で指名され、プロ入り。仲田幸司とバッテリーを組んでいた捕手の仲田秀司も西武からドラフト5位で指名されプロ入りした。 また、この年の沖縄水産で1番打者(二塁手)として活躍した赤嶺琢は栽監督の長男で、九州共立大に進学後、同大学のコーチとして何度も神宮大会に出場している。
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565 :名無しさん@実況は実況板で[]:2012/12/16(日) 02:08:03.78 ID:I1p+0p6g0 - >>563の続きだが、82年から83年にかけて沖縄水産には宇良という外野手がいたが、その息子が来年の選抜に沖縄尚学のエースとして甲子園に出場する。
父親があと一歩のところで叶えられなかった甲子園の夢を息子が叶えることができて、父親もさぞうれしいことだろう。
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569 :名無しさん@実況は実況板で[]:2012/12/16(日) 13:09:49.23 ID:I1p+0p6g0 - >>568
1986年に行われた第68回全国高校野球選手権大会準々決勝、沖縄水産−松山商の試合は8回表を終了した時点で3−1で沖縄水産のリード。 しかし、8回裏に松山商が2点を奪い、同点。 9回裏に松山商が左翼越えの適時打を放ちサヨナラ勝ちした。 この試合は終始、沖縄水産が押し気味に試合を進めていて、沖縄県勢18年ぶりのベスト4入りなるかと思われたが、8回裏の守りが試合を分けたといえる。 8回裏、松山商は無死二塁のチャンスをつかみ、ここで沖縄水産の栽弘義監督は伝令を送り、「2点リードしているから二塁走者は気にするな。三塁前へのバントは三塁手が取りにいくように」と指示したにもかかわらず、 その三塁前への送りバントを投手の上原が取りにいき、三塁手は三塁ベースカバーに入ってしまった。 送りバントをした打者走者も一塁セーフとなり、無駄な走者まで出すことになってしまった。 沖縄水産の栽監督は何年たってもこの場面を思い出すらしく、事あるごとに「あのとき三塁手がバント処理していれば一塁走者はアウトにできた。あのプレーが大きい」と振り返っていた。 その後、沖縄水産は88年夏に沖縄県勢20年ぶりのベスト4入りを果たし、そして2年後の90年夏と91年夏に2年連続準優勝を果たすことになるが、上原晃が2年生だった86年夏のチームは初戦で帯広三条(北海道)を12−1、 3回戦でも京都商を14−0と破り、圧倒的な打力と上原晃という全国屈指の好投手を擁する走攻守バランスのとれたチームで、80年代の沖縄県勢の中では優勝に一番近かったと沖縄の高校野球関係者の間では語り継がれている。
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572 :名無しさん@実況は実況板で[]:2012/12/16(日) 17:45:22.96 ID:I1p+0p6g0 - >>569の続きになるが、翌年の87年に沖縄で行われた「招待試合」には、前年の夏に甲子園で戦った松山商を招待。
迎え撃つ沖縄水産は栽監督をはじめ全ナインがリベンジに燃え、招待試合とはいえ、試合前から相当な気合いが入っていた。 試合は沖水打線が松山商の投手陣を打ち込み、そして3年生になった上原も松山商打線を2点に抑え、7−2でリベンジ。 甲子園、招待試合を通じて沖縄県勢が初めて四国勢に勝利したのがこの試合だった。
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