- 北海道が嫌いになった理由
106 :名無しさん[]:2018/01/02(火) 15:29:41.31 ID:Ne3RwMDq - 反論はあるだろう
お前が北海道嫌いでもいいんだけどさ 俺も北海道の冬や雪が嫌い過ぎて上京した人間なんだけど 問題なのは、北海道を批判するその理由が北海道である必要性の無い、一般的な田舎者のよくある性質な訳なのだが それをことさらに道民の性質だの云々言って 勿体つけるなと言いたいんだよ よりシンプルに北海道で嫌な事があったという個別具体的な愚痴をこぼす分には、このスレッドの持つ役割も理解できないわけでは無いが それを北海道民特有の現象として一般化して、その様な道民の悪癖悪習、蒙昧さの被害者ヅラしているのを見てると一言二言、道民が言いたくなるのでは無いかなぁと思う よそ者が、田舎者にいじめられたり除け者にされたりして傷ついたり 理解されなかったりする事はあるだろう田舎には当然田舎のやり方があるだろうし、都会のそれとは違う思想に基づいてなされる事だってあるだろう その様な違いをあたかも進歩的な思想で持って断定的に評価し進歩的な都会と遅れている田舎者=土人といった形で二分し その様な世界観を頭の中で構成し、土人は己の理解の埒外にあると決め込んで 北海道で暮らしている事で生じるストレスを発散しているのは 相当滑稽だし、柔軟性に欠ける様に見えるんだよね
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109 :名無しさん[]:2018/01/02(火) 15:52:42.24 ID:Ne3RwMDq - >>108
主観を排した客観というのはその様な定性的な、極端な言い方をすれば、血液型占いのようなレベルの事じゃ無いだろう 言われてみれば、そうかもしれないという感じるのは心理学ではバーナム効果で有名だし 北海道民が憎らしいと常日頃感じている奴は 些細な事でもそれがあたかも北海道民特有の現象だと錯覚する(確証バイアス)のでさらに確信を深め自身の世界観が固定化されていく この様な疑似科学を客観的というには少々無理があるわけ 百歩譲ってその様な性質があるとしても道民の特有の現象では無いし そもそも上に列挙された様な性質が客観性を持ち普遍性を持つ様な原理になんかなり得ない 上で列挙された道民の性質はせいぜい血液型占いのような疑似科学として、一定程度の距離感をもって評価するならともかく それを大真面目にこれは客観的なものであると断言するのは 常日頃蔑んでいる土人とやらとなんら遜色の無いくらいのオツムだと自ら言っているようなものだぞ
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113 :名無しさん[]:2018/01/02(火) 17:47:43.09 ID:Ne3RwMDq - 自分は北海道出身で、札幌の啓明ターミナルにほどちかい比較的転勤族の多い地域に長年暮らしていたが
今は上京して今は大田区に住んでいるけども、東京の人間の民度やら気質やらについてはさほど気にして比較する事はなかったというのが実感で、強いて言うなら東京はピンキリだという事は感じているよ ホームレスやら浮浪者の数は札幌とは比較にならないくらい多いし、街はゴミゴミしてて汚い 平和島の辺りなんてギャンブル中毒のオヤジがたくさんいたりするし、ドン・キホーテに集うDQNなんて腐るほどいる 行くところ行くところ人が群れており落ち着かない その一方で、人格的にも優れ、深い教養を持っているような尊敬すべき人間もいる 結局、人によるところが大きいのでは無いかというのが偽らざる実感かな というのも、個別的経験を一般化する事は得てして正しく無い場合が多いからであり それは、その一般化した法則やら事象を現実世界に適用したとして それが北海道民に限定的に成り立つものでなければいけないからだ だから上に列挙されたあなた達が普遍の真理だと思って譲らない道民気質とやらが 他府県民にも当てはまるとしたら(実際そのような本州の人間なんて腐るほどいる)この道民特有の気質と称するものは 主観を排した客観的な事実を説明した事にはならないはず 自分はその様な前提で生きているので 仮に東京で嫌な目にあったとしても、それは東京人がおかしいと責任転嫁はせず、具体的な状況の中で、具体的な人間の間柄において生じる摩擦であると考えるし 問題が、個別具体的な特定の人間やら特定の組織やらに起因すると考えるので いきなり一般化して東京人は頭がおかしいなんて考えには至らないと思うよ 「本州の常識は北海道では通用しない」というのはあまりにもざっくりとし過ぎている感じがするよね 本州の人間が共有する常識とは一体なんなのか 本州と北海道という二つの集合で比較する意味はあるのか自分には相当疑問だ これが都会の人間と田舎の人間で比較する方がまだ説得力があるでしょう 都会の人間が持つマナーやら常識とが田舎のそれとは違いカルチャーショックを受けるというのはあるかもしれないが それを殊更北海道と本州(本州だって色々あると思うのだが)という関係性においてのみ成り立つ様に論じるというのは 無理がある議論だと思う それでもその様な議論を組み立てたくなるのは、都会の人間が受ける田舎生活におけるカルチャーショックで生じた行き場の無いストレスを 道民の異常性という形で表現する事により ごくごくありふれた物語ではなく 北海道という特殊な場所だからなのであると自らを納得させたいという欲求(自分は特別な存在であるというナルシシズム)があるのかもしれない 確かに、道民が持つ都会の人間とは違う常識はあるだろう しかし、それを明確に優劣という基準でもって序列化できる様には思えない 都会の常識は田舎の常識よりも優れているという前提で世界観を構成し その様な世界観で断定的に土人や土民やら言われるのは快いものでは無いし 到底受け入れがたいと道民が感じるのは十分理解できる その様な意味で道民が反発しているのだと思う 都会の人間と田舎の人間が持つ価値観は違うだろう 違う価値観を持つ人間に対して相手を理解しようと努力するのか それとも理解の埒外にいると居直り(土人であると考え) その様な考えを補強する様な事実ばかりを探し、自説を否定する事実は無視をする様な態度でいれば ある集合に対して固定的なイメージを創ってしまうだろうね 特にインターネット空間ではその傾向が強い様には思われる 客観的に正しいかどうかよりも、自分の世界観をより強固なものにする情報がより好まれる どんな珍説にも一定の支持者が出てくるのがインターネット空間である 確証バイアスがインターネット空間の登場により、より強固なものになってしまう(嫌札幌ブログ)
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