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名無しさん@お腹いっぱい。
幕末・明治ちょっといい話悪い話

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幕末・明治ちょっといい話悪い話
17 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/11/27(火) 19:49:37.93 ID:/wZY9kql0
予(伊藤博文)は教えを受けて育ったくらいの仲だ。木戸公とは特別に親密であった。ところが明治4年、ヨー
ロッパに使節に行ってから少し妙なことが起こって、一時交際ぶりが変わったことがある。それは――木戸公・
大久保公などという人は、当時日本において必要欠くべからざる人であった。政府を維持するという上において
は西郷以下の人才がいたけれども、それらの人は政治の方に向かなかった。

そこで話がちょっと飛ぶが、大久保公と予がアメリカまで行って一時引き返して来たことがある。それは締盟各
国と条約改正の相談をして廻るについて権限に不足があったので、その追加の委任を受けるために中途から帰っ
て来たのだ。大使一行の出た留守は主に大隈と井上がやっていた。山県・西郷などもだ。で、大久保と予が帰っ
て来た。ところが大隈や井上が言うには、

「どうも木戸や大久保に長く外に出られたのでは内閣が持ちきれぬ。なるべく早く木戸・大久保を帰朝させるよ
うにしてもらいたい。ヨーロッパを廻ることは君が引き受けて、木戸や大久保を早く帰してくれ」

という話であった。ところがそれを誰であったか、いい加減に言い曲げた。「井上・大隈が言い合わせて木戸・
大久保を早く帰すようにしている」と言った者がいたので、木戸公はすこぶる不快に感じたらしい。「2,3の
者が謀って俺の進退を議する」と言って怒られた。

それから予が出直してアメリカからヨーロッパに行き、木戸公に会った。ところが公の予に対する態度が変わっ
ていた。どうしたことか予にはちっとも会わなかった。しかし予は気に留めずにそのままにしておいたのである。

ある1日、イギリスのロンドンで木戸・大久保二公が山口尚芳らと食事をしておられた。予は書記官らを統轄し
て本国に報告書を送ることを受け持っていたので、その中に我々使節一行が日本に帰朝するのは明治6年の夏を
過ぎる時であろうということを書いて、印判を貰おうとした。すると木戸公は憮然色をなして、

「いつ日本に帰るかわかるものか。そんなことを今から言ってやる必要はない。とかく2,3の若者が言い合わせ
て、自分らの進退を議する様子がある」

と言ったので、予は気がついた。

「それは妙な話である。私がいっぺんアメリカから帰朝した際に井上・大隈がこう言ったことがある。『どうも
木戸や大久保に長く外に出られたのでは内閣が持ちきれぬ。なるべく早く木戸・大久保を帰朝させるようにして
もらいたい。ヨーロッパを廻ることは君が引き受けて、木戸や大久保を早く帰してくれ』という話があった。
つまり内国の形勢から言ったことで私もその時無理はないと考えた。何も悪意で言った事ではない。誰かその間
に讒言を構えた者があったことと思う。とにかく次第によっては帰朝しろという勅命が下るかもしれぬ」

と、こう言った。ところが木戸公はそれでもなお不快らしかった。その後、フランスやベルギー・オランダなど
を廻ってドイツに行った。ところが青木周蔵や品川弥二郎が来ていた。その時、彼らの言うには「どうも君と木
戸との交際が面白くないようだから、我々が調和したいものである」と、こう言うのだ。予はこれに不承知を唱
えた。「予と木戸との間柄については、お前達の調和を煩わすには及ばぬ」と断った。

するとベルリンに滞在している内に木戸・大久保二公に帰朝の勅命が下った。大久保公はすぐに出発したが、木
戸公は使節と離れてロシア・イタリアへ旅行に出た。それで後は、予と山内尚芳が岩倉公に伴って帰朝した。な
んでも木戸公は明治6年の7月に帰朝した。

予が6年の9月に帰ってみると、征韓論がなかなか盛んに起こっていた。木戸公は征韓論にはもちろん不同意で
ある。しかし岩倉公の一行が帰るまでは可否の論は定まらなかった。予は帰朝してから木戸公を訪ねた。ところ
が公は、

「これから先、君の考えはどうだ」

と言われるから、予は自分の意見を十分に述べた。すると、公は、

「そういう君の考えなら、自分においては異存どころではない。全然同意だ」

と言われて、すこぶる満足の様子であった。日本をこれからどうしてゆくかという議論である。それがたいへん
公の気にかなってヨーロッパで起こった感情の行き違いが、敢然として氷解してしまったのである。

(伊藤公直話)

伊藤が語る、木戸との初めての仲違い


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