- 西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2
383 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/06/17(日) 15:10:24.09 ID:f+4ECaBE0 - 「遠野物語」自体はともかく、遠野物語信仰みたいなものは甚だ胡散臭いんだよな
ある本で、遠野物語と「在日論」の共通性が指摘されていた 以下はその引用である 遠野市が「遠野物語」(柳田邦男 1910年)の筋立てにしたがって地域の姿を作り変えていったように 在日コリアンも「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植1965年)の筋立てにしたがって在日の歴史を作り変えた部分がある 人類学者の太田好信の指摘では、「遠野物語」が刊行されてさほど時間が経過していない時点で 現地を訪れた者には、自分が目にしている遠野と、「遠野物語」に描かれた「遠野」とのギャップに 驚かされたものだが、数十年後に現地を訪れた者にはそのギャップの感覚が無くなっているという これに似た関係が在日コリアンと「朝鮮人強制連行の記録」との間にもあるのではないかと 「朝鮮人強制連行の記録」は、刊行されるや、少数ではあるが、あるタイプの日本人たちに啓示を与える書となり 「強制連行」の足跡をたどる発掘・調査などに使命感を燃やす人々を生みだし、 それはやがて在日コリアンが「強制連行」の被害者やその子孫であるというイメージを人々の心や身体に刻み込む力となった しかし、当の在日一世自身が読んだら、それがわが事を記した本であるとは、にわかには信じられなかったに違いない 一世の多くは、ひと旗あげるためにとか、貧しさから逃れるために、故郷を離れ、 日本にやってきたことを十分に承知しており、彼らの立場からすれば、自分が日本にいることを 日本の「強制連行」のせいにするような”お話”が作り物であるのは明らかだったからだ
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- 西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2
384 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/06/17(日) 15:38:31.84 ID:f+4ECaBE0 - ながながと引用したのは、西郷伝説と鹿児島県人の関係が
遠野物語と遠野市や、「朝鮮人強制連行の記録」と在日コリアンとの関係と 同じだと思ったからだ 西郷の死後だいぶ経ってから、西郷を祭り上げる顕彰本が刊行され その顕彰本の筋立てにしたがって鹿児島県や県人が自らの姿を作り変えたのだ 西郷軍の当事者の代ではなく、子孫の代になってから実体の無い西郷伝説が 鹿児島県人の心や身体に刻み込まれたのだ 宝暦治水事件の薩摩義士のお話も同じである 鹿児島にはもともと薩摩義士の記録は一切無かったにもかかわらず 大正時代に岐阜県から薩摩義士の捏造話が輸入され その筋立てにしたがって鹿児島県も自らの歴史を作り変えてしまったのだ この現象の最新版が、朝日新聞の慰安婦報道と韓国で名乗りでてきた(強制されたと主張する)慰安婦のおばあさんたちである 慰安婦報道の筋立てにしたがって、慰安婦おばあさんは自らの歴史を作り変え、強制連行されたと主張しはじめたのである
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388 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/06/17(日) 19:23:24.44 ID:f+4ECaBE0 - >>386
あくまで私見ですが、当時の評価に従って「古今無双の英雄」のようなフレーズが生まれたのではなく 「古今無双の英雄」というフレーズが使われたことによって、それが一種の西郷伝説になり、 その筋立てにしたがって歴史が作り変えられていったと見るべきでは? 明治15年というと、1万以上の死者を出した西南戦争の記憶はまだ鮮烈であり 遺族感情など考えれば、敵軍の大将を「古今無双の英雄」と呼ぶのはちょっと考えにくい 西郷のキャラも「古今無双の英雄」というような前線に立つタイプの統率者ではなかったし しかし事実としてそのような歌詞が採用されたのは 西郷隆盛がかつての政府陸軍大将であり、西郷軍の中核もかつての政府軍であり また明治15年当時政府軍には薩摩出身者がまだ多くいて、西郷をたんに賊とするより一種の軍神化をして それを打ち破る正義の政府軍のような歌詞にしたほうが何かと都合が良かったのではないかと思う
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