- 西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男©2ch.net
23 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2017/09/14(木) 18:05:54.39 ID:KXmR1x1Z0 - Q : 西南戦争で薩摩士族は自ら滅び、鹿児島にも新しい時代がやって来たんですよね?
それもこれも西郷さんの捨て身の深謀遠慮のおかげなんですよね? A : 薩摩士族は自ら滅ぶどころか、4人に3人は投降などして生き延びました。 西郷さんや幹部の城下士たちは九州中を6カ月以上も逃げ回りました。 その姿はどう見ても、自ら死を選び、滅ぶつもりの者たちの姿ではありませんでした。 戦役後、鹿児島では実権が城下士から郷士に移っただけで、士族支配であることになんら変わらなかったのです。 『薩摩見聞記』はこう記しています。 「明治中期の鹿児島では平民社会の 状態をみると, それはまことに哀れなもので, 鹿児島城下のわずかな一部の商人のほかは 財産もなく, 知識もなく, 勢力もなく, 士族との間には なお甚だしい格差があって, 容易に融和しそうにもない。 藩政が崩壊してすでに20年にもなろうとしているのに、 薩摩だけはなお依然たる封建の地である。 政治、役人、教育、警察等の世界において 士族の勢力が強いこと、日本全国にその類をみない」 とあり、この状態はなんと太平洋戦争後まで続いたのです。
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