- 龍馬暗殺の黒幕7
127 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 04:22:14.19 ID:DcOAaaRi0 - >>126
それはどうだか。 少なくとも永井尚志との面会は史実として確認できるのに、 同じように語られている松平容保との会見を、なかったことには出来ないと思われる。 史料の扱いとしては、事実が確認できるもの一部だけ、証明もないが違う、と斬って捨てるのは論外だろう。
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- 【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】
403 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/10/06(土) 04:36:52.92 ID:DcOAaaRi0 - 半藤及びID:UO5Lzz+r0の文章に論理がなく、情緒に流されていることを私は憂慮します。
事実、バブル退治以降現在まで続く半藤の言動はひどいものです。 他人を不当に貶め、僕は関東人だから多数派だ正義だバブル退治は正しい、と居直ったり、 開戦を思いとどまるように昭和天皇も重臣も求めていたのに開戦した山本五十六へは、 「やらねばならないときがあるのだ、越後の民の心意気だ」と言い抜ける。 そこを堪えないと為政者じゃないでしょうが。嘘は情緒で正当化では、結局また敗北することになるでしょう。
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- 【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】
411 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 19:45:33.00 ID:DcOAaaRi0 - 嘘つき爺さん半藤のお話なのですが。
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- 龍馬暗殺の黒幕7
133 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 19:59:45.81 ID:DcOAaaRi0 - 坂本龍馬も土佐藩も、大政奉還から近江屋事件が起こるまでは安心しきっていて、
幕府から暗殺部隊を送られることを全く警戒していなかった。 それは、永井尚志や松平容保などが身の安全を保障していたから。 逆に薩摩は岩倉具視からの、会津の激怒と任侠沙汰に訴えようとする姿を伝える書状を見て、 即座に西郷・大久保らは京都を退去し、土佐藩、特に坂本龍馬には直接身の安全に警告を発している。 史料の扱いから言うと、むしろこれらの事実を含むものを信用できないと主張するほうが不合理だろう。 特に>>130など、相手への中傷だけで根拠も言わないのだから。
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- 【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】
412 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 20:14:13.77 ID:DcOAaaRi0 - 私は、戦前の日本軍部を不当に美化することには反対です。
しかし半藤の言動は、戦前の軍部の行動を陸軍だけが悪い、海軍は正義と主張したり、 また東北・長岡・関東出身者だけは常に正しい行動をしたと言い繕ったりして、話す内容に虚偽・出身地贔屓が目に付きます。 好戦的な言動は隠蔽した上で「山本五十六はプライドがあったから正しい」だの、 責任者として最低な決断を行っても長岡出身者なら正義なのだと言いたげです。 これは幕末明治維新を語るときも同じで、半藤の不当な佐幕派擁護論に頭が痛くなります。 そしてバブル退治以降の彼の雑誌、文藝春秋誌上などでの言動を見ると、 経済萎縮は素晴らしい、これこそ武士道、技術開発も止めてしまえ、経済を壊してこそ武士道、 私の嫁は名族だから私は正義、経済が全て滅んだら旧きよき農村社会が還ってくる、とか 日本を破壊して胸を張らないでくださいと言いたい。
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- 龍馬暗殺の黒幕7
135 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 23:15:55.43 ID:DcOAaaRi0 - 松平容保が犯人ではないと主張する人は、このように史料を見ずに勝手に主張している人なので、
あまり信じるべきではないでしょう。 慶応3年10月16日付 岩倉具視から大久保利通への書簡(意訳) 一関東歩兵も近々上京を始め、幕府はしきりに兵を募っているようである。 一会津、桑名の国元の兵を残らず招くという。 一会津は狂気のごとく憤然とし、薩摩藩邸を討つなどといっている。すべて西郷・小松・大久保の三人が元凶である。 土佐藩、芸州藩も同様である。これらを斃すべきであるという議論があるらしい。 私(岩倉具視)はそれらのことを案じているので、あなた方は明日すぐに帰国されるべきであると思います。これらの話は 中山忠能・正親町三条実愛らから聞いた内輪の話しです。 これを受けて、吉井が坂本龍馬を訪ね避難を呼びかけた記録まで残っている。 >>130とか>>134は小説の中で勝手に想像している人の言。
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- 龍馬暗殺の黒幕7
136 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/10/06(土) 23:30:19.92 ID:DcOAaaRi0 - 薩摩はこのようにさっさと避難を行ったのだが、逆に土佐藩も坂本龍馬もこの時点では自らの身を安心しており、
土佐藩は近江屋事件まで身の安全へは無頓着だった。 これが簡単に坂本龍馬が暗殺されてしまった理由なのだが、何故土佐藩が安心していたかというと、 やはり、永井尚志や松平容保から身の安全について保障を得ていたと考えることになる。 一方でこの時期の海援隊隊士の書状からは、土佐藩邸及び陸援隊頓所を監視する新撰組について激しい警戒が見て取れる。 坂本龍馬の周辺は、新撰組を中心とする幕府尖兵の敵意と、一方で永井尚志や松平容保からの身の安全の保障との間で 分かりにくい状況となっていた。 そして松平容保は実際は大政奉還すら大反対であった。
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- 龍馬暗殺の黒幕7
138 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 23:38:41.37 ID:DcOAaaRi0 - >>137
君の勝手な解釈はいいから、一般的な説に従うべきでしょう。 松平容保は犯人ではないと言っている人は、この様に書簡の解釈も出来ない人です。 気をつけましょう。
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- 龍馬暗殺の黒幕7
139 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 23:42:42.24 ID:DcOAaaRi0 - そしてこの書簡の翌日、吉井が坂本を訪ね、避難を呼びかけた点について、
記録も残っているのにこの人は全く言及しない。 松平容保が犯人ではないと主張する人は、このように都合の良い歪曲しかしない。 歴史の敵、我田引水の人ということです。
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- 龍馬暗殺の黒幕7
140 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/10/06(土) 23:51:06.21 ID:DcOAaaRi0 - 松平容保は、土佐藩及び坂本龍馬に身の安全を保障していながら、
一方では新撰組などを動かし、土佐藩や坂本の身辺調査を実行していた。 もちろん坂本龍馬の居住所も調べたのだろう。 そして坂本龍馬は自らの身の安全に全く無頓着であった。 永井尚志や松平容保から直接安全保障を受けていたから。 だが岩倉具視の書簡にあるように、松平容保ら会津は大政奉還に反逆すべく、 大政奉還を勧めた薩摩・土佐・安芸らの藩士を標的に行動を開始していた。
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