- 【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】パート2
977 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/24(土) 01:09:43.61 ID:jAOcjgGE0 - 太平洋問題調査会(IPR)の正体 http://satehate.exblog.jp/15625945
ユダヤが策した日支闘争計画 実施機関は太平洋問題調査会 (中略)このいわゆる「日支闘争計画案」なるものは、その後永く日本の親英米・親ソ容共派の行動を内面から指導し続けた原理であった。 その原理を実施するための機関と目されるものも、既に甘粕事件発生のころから日本に設置されている。 太平洋問題調査会(IPR)であり、本格的には大正一五(一九二六)年から常設となった。 ロックフェラーとソ連の司令下にあった秘密工作機関である。もちろん表面は公設機関と見せて、民間機関と称していた。 日本代表は新渡戸稲造、松岡洋右、鶴見祐輔らであり、幹事長はキリスト教界の斉藤惣一であった。 (※そういえば、新渡戸の五千円札には地球の太平洋が図案化されていた) ゾルゲ・尾崎秀実の仲間であった西園寺公一も、晩年は中共の党員であった。 昭和49年後半と記憶するが、NHKテレビで西園寺が「あの戦争は俺達がやったんだ」 とニヤニヤしながら語っていたことは、今も脳裏から離れない。腹立たしい事実である。 ハリウッドは戦後に真珠湾攻撃の首謀者、山本 五十六をを褒め称える映画、『トラトラトラ!』を作製した。 1941年1月、山本は第11航空艦隊参謀長であった大西瀧治郎少将に対して「真珠湾を航空攻撃できないか」と 航空攻撃計画の作戦立案を依頼した。・・・連合艦隊参謀黒島亀人大佐が「この作戦が認められなければ、 山本長官は連合艦隊司令長官を辞職すると仰っている」と軍令部次長伊藤整一中将に言い放ち、 これに驚いた軍令部総長永野修身大将は渋々作戦実施を認めた。)
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