- 【南京】東中野裁判8【新路口事件】
25 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/24(土) 23:06:58.00 ID:ZTJ412zB0 - >22
>一兵卒が知るはずがないことが書かれていたり、当時使われていない言葉で書かれていたなら捏造確定でしょう。 「一兵卒が知るはずがない」と主張して居るのは反論を寄せた中隊長だけですが? その兵士が将校と個人的に親しかったとか、情報を教えて貰える立場にあった可能性は否定できないのだけれども。 「 私の連隊は第6師団に属していたかなど、中隊長の私でさえ知る由もなかった。」 この証言など、この中隊長が単なる戦場音痴でろくすっぽ職務を全うできない無能だったと 自分で公言しているようなものだ。 伊藤桂一の『兵隊たちの陸軍史』でも読んでみれば解ることだが、新米の一兵卒がまず覚えさせられるのが 自分の所属する部隊の上官の名前と階級。 観閲点呼などの場で上官から「わが連隊の連隊長殿の名前を言って見ろ!」と言われて、 名前がすぐに出てこないなんて失態を犯したらどんな目に遭うのかを詳しく書いてあるよ。 また、戦場を転々と移動する軍隊の兵士たちにとって、故郷の家族との間で交わす軍事郵便が 心の支えとなっていたことは有名だけど、その郵便の届け先は住所なんてものが書きようがない以上、 部隊名を書かないことには届かない仕組み。つまりは自分の所属する部隊名は「住所」みたいな ものになるから、これが分からないなんて事はあり得ない。 一ノ瀬俊也『行軍兵士の日常生活』より 「筆者の手元に、日中戦争初期の上海・南京攻略戦にも参加した部隊の兵士が地元・福岡県八幡市の小学校や その同僚に送った四通の軍事郵便がある。兵士の名はW・Tといい、どうやら小学校の教師だったようだ。 所属部隊名は「柳川部隊牛島部隊片岡部隊宇土部隊平尾隊」とあるが、 これはそれぞれ第一0軍・第一八師団・歩兵第一一四連隊(小倉)・同第一大隊・第一中隊を指す。」(p159) 「自分の何師団に所属するのか知る由もない」なんてのはデタラメも良いとこだよ(笑)
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