- 【南京】東中野裁判5【新路口事件】
796 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 00:08:45.25 ID:9E23SiR90 - >>792
「兵器を捨てず、自衛の手段尽きて降を乞うわけでもない敵」が殺されただけだなw 「南京戦史」329P 安全区の掃蕩より 安全区内の掃蕩を担当した歩七は、十二月十四日より二十四日に居たる間、便衣兵(引用者註:正確には便衣隊)六、六七〇名を処分した。 また戦車第一大隊大地中隊(歩七に配属)は戦闘により撃滅した七、八十名のほか二五〇人を捕虜として収容。 以上を含む第九師団の処分累計は約七、〇〇〇名である。 (第九師団作戦経過の概要、歩七戦闘詳報、戦車第一大隊第一中隊戦闘詳報、『伊佐(歩七聯隊長日記)』 戦車第一大隊第一中隊の敗残兵掃滅と捕虜後送 十四日、歩七に配属された戦一第一中隊は安全区周辺を掃蕩中、我(引用者註:多分この「我」は日本軍の意)に抵抗する敗残兵七、八十名を射殺。 なおこの際投降の意思表示をした二五〇人は捕虜して収容し、後送の処置をとった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 歩七は十二月十四日より二十四日の間、六、六七〇人の敗残兵を摘出処断。 【投降の意思表示をした二五〇人は捕虜して収容】 これから確認できることは、投降の意思表示をしたものはちゃんと捕虜として収容している。 二五〇人以外は【投降の意思表示をしなかった】のだから殺されて当然だなw
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800 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 00:19:32.23 ID:9E23SiR90 - >>797
>激昂せる兵は【上官の制止】を肯かばこそ片はしより殺戮する。 上官は制止していますが? どこか問題でも? 「殺せ」と命令したならともかく、「殺すな」と命令していた事が明確ですねw
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802 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 00:20:55.68 ID:9E23SiR90 - >>799
過去スレを読み直せ無能w ついでに日本語も勉強しなおせw 白丁乙w
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810 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 00:42:34.74 ID:9E23SiR90 - >>799
何度論破されても同じ事を繰り返す ア ホ w 【12月12日夕刻】 丸MARU 1990年7月号 通算528号 連載第19回 ttp://nanking1937.web.fc2.com/Jourui/19.html 第一大隊戦闘詳報には「最初の捕虜を得たる際、隊長は三名を伝令として抵抗を断念して投降せば助命する旨を含んで派遣せるに」とあり、このときの隊長とは一刈大隊長ではなく小宅小隊長 代理のことであることが分かったが、小宅小隊長代理は、捕虜を捕らえたのは確かだが三人を伝令に出したりとかそういうことは一切なかったという。 【12月13日午後二時】 【南京】東中野裁判6【新路口事件】 391 第114師団 歩兵第127旅団 歩兵66連隊 第1大隊 第4中隊 第1小隊長代理 小宅伊三郎曹長証言 ttp://kknanking.web.infoseek.co.jp/butaibetu/114D.html#5 阿羅健一『兵士たちの「南京事件」 城塁』 連載第19回(『丸』1990年7月号)P212-213 戦闘詳報について言えば、第四中隊の戦闘詳報は私が書いていました。もちろん捕虜処刑などありませんか ら、そんなことは書いていません。 【12月13日夕刻】 第一大隊戦闘詳報などから判断すると、第百十四師団左翼隊の南京突入は水戸の連隊に続いて宇都宮の連隊が行い、そのとき宇都宮部隊では、第三大隊が突入部隊で、連隊本部及び軍旗 中隊の第二中隊もそれに引き続いて城内に入ったようであった。しかし、藤沢上等兵と渡辺紋蔵小隊長の話から、第三中隊も西沢中隊長以下が突入部隊とほとんど同時期に城内に進み、 少なくとも十三日午後には城内にいたと思われる。 そうすると、捕虜に関しての大隊長と中隊長とか話し合いは、第三中隊に関してはありえないことになる。
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814 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 00:49:40.24 ID:9E23SiR90 - >799
>【12月12日夜】 >捕虜は第四中隊 警備地区洋館内に収容し周囲に警戒兵を配備し其の食事は捕虜二十名を使役し徴発米を炊爨せしめて >支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして食に飢えたる彼らは争って貪食せり ↓↑ >797 >白米は最早一粒もなく、城内には有るだらうが、俘虜に食はせるものの持ち合はせなんか我軍には無いはずだった >(1937年12月13日、第十六師団佐々木到一少将の日記・・・・偕行社「南京戦史資料集」P-378) 白米は最早一粒もないはずなのにw 捕虜にはいったい何を食わせたんだw 肯定派の脳内ではいったいどんな風に整合性が取られているんだろうw
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816 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 00:52:46.11 ID:9E23SiR90 - >>812
そういう台詞は戦闘詳報に書いてある「連隊長から受けた旅団命令」を持ってきてから言いなw
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817 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 01:06:14.23 ID:9E23SiR90 - >>812
いずれも「実名」の証言w 渡辺紋蔵小隊長 「第三中隊は十三日、十四日と城内にいたので捕虜を捕らえるということはありませんでした。」 藤沢上等兵 ―戦闘詳報によると、第三中隊も捕虜をやったとありますが。 「全然知りませんてした。第三中隊は十三日からすっと城内に入っていましたから」 森尾市太郎上等兵 城内では煉瓦作りの建物を中隊本部にして、中隊長もここにいました。 十三、十四日と二晩南京城内にいて、私は十五日か十六日、中隊の遺骨を持って日本に帰るよう命令され、下関から船に乗りました。 師団の遺骨を持っていた渡辺さんと一緒です。 バカが必死で縋り付くゴミ文書w ↓ 【12月13日夕刻】 午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附き意見の交換をなしたる結果 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ さて、どうやら日本軍はタイムマシンだけでなく、瞬間移動(テレポート)も実用化していたらしいw
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824 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 01:17:48.88 ID:9E23SiR90 - >>811
>佐々木到一少将ともあろうお方の捕虜認識が間違っているって強弁されましてもwwww 自分が何を書いたのか憶えていないアホw >797 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2011/12/22(木) 00:11:04.24 ID:mTIIo/CK0 > >その後 【 俘 虜 】 続々投降し来り数千に達す。 敵兵が投降してから【 俘 虜 】になるのに、【 俘 虜 】がどうやって投降してくるのかとw 佐々木到一少将の捕虜認識がいい加減だったという根拠をありがとうw
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827 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 01:23:15.49 ID:9E23SiR90 - >>819
記録の時系列に矛盾があり、肝心の命令の記録が存在しませんw
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828 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 01:41:05.05 ID:9E23SiR90 - で?結局、肯定派のバカは「殺害されたのが捕虜」だという証明はどうした?
あきらめて逃げ出したのかw どちらにせよ「戦場で軍人が死んだだけ」だがなw
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839 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 02:10:40.16 ID:9E23SiR90 - >>829
>はいはい、こちらが持ってきた捕虜殺害の記録に対して >結局否定派は正当な理由を示せませんでしたねーwwww >残念でしたwwww ハイハイ、結局バカは「殺害されたのが捕虜だ」という証明から逃げ回ってばかりですねw 所詮、肯定派なんてその程度w
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840 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 02:16:58.97 ID:9E23SiR90 - >>829
>いいから記録で反証しなさいよw >証言を元に矛盾とか言われてもwwww 戦闘詳報そのものに時系列の矛盾した記述があるのを知らないとでもw 命令が発令されたはずなのに、その発令した命令の記録がないのも知らないとでもw ああ失礼w白丁に日本語が理解できるはずがありませんでしたねえw 所詮、自称ザパニーズのような寄生虫は人間扱いしてやる必要はありませんからさっさと駆除しないといけませんねえw
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841 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 02:26:43.36 ID:9E23SiR90 - 「もう寝る」「からかってただけだ!」「俺は議論なんかしてねーんだよ!」「哀れ○○○w」etc…
逃亡する時のパターンがほとんど同じw 肯定派の負け犬の遠吠えはワンパターンだなあw
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849 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 12:50:53.03 ID:9E23SiR90 - >>845
現代で言う『捕虜』とは『捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者』。 現代(1949年以降)では捕獲された時点から捕虜としての待遇を与える必要があるが、1937年当時の南京に1949年の条約を適用する事はできない。 現代 :「敵の手中に陥った者」=「捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者」 1937年:「敵の手中に陥った者」≠「捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者」 佐藤和男が言っている『捕虜』とは単なる『敵の手中に陥った者』であって、『敵の権力内に陥った者』(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)ではない。 佐藤和男『南京事件と戦時国際法』 『一九四九年捕虜条約は、一九二〇〜三〇代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を 示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、少なくとも右の第五条に見られる 「敵の手中に陥った者」のことごとくが ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らない ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ことを示唆している点において、注目に値しよう。』 それとも「佐藤和男が言っている『捕虜』とは『捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者』だ!」とでもw
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851 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 13:04:20.72 ID:9E23SiR90 - >>850
佐藤和男が言っている『捕虜』とは『捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者』だと証明してみろw できるものならなw 所詮、肯定派ごときにできるのは負け犬の遠吠えを喚き散らす事だけw
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855 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 13:32:13.03 ID:9E23SiR90 - ttp://www.geocities.jp/nankin1937jp/page090.html
■グース 例えば、藤田氏が戦数を否定する論拠としてあげているユス・コーゲンス(強行規範)です。 この理論は第二次世界大戦後に生まれたもので、1969年ウィーンで採択され、1980年に発効したウィーン条約法条約の中で示されています。 しかし南京戦が行われた1937年には理論としても存在していません。 ●質問者 ということは、佐藤説に対する反論として、藤田説は意味がないということでしょうか? ■グース ほとんど無意味です。要するに、1937年当時に軍事的必要を理由にした戦争法違反が認められていたかどうかが問題なのであって、現代でその理論が広く認められている必要はないわけですね。 K−Kさんは、現代では否定する論が優勢であるということを、1937年当時にも否定論が優勢であるというふうに勘違いしているのだと思います。
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857 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 13:53:53.49 ID:9E23SiR90 - いやあ、所詮肯定派のバカどもにできる事はk−kやゆうのコピペぐらいしか能がないから対応が楽で良いなw
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861 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 16:10:08.74 ID:9E23SiR90 - >>859
>多数の 【法学者】 がそれぞれの立場で論争に加わっていますが 当然「歴史学者」なんかじゃないよなw ちなみに佐藤和男は「国際法学者」w
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868 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 21:52:47.62 ID:9E23SiR90 - >>865
>お前が「断言した」つってんだから、まずはその前提条件である断言したソースもっておいで ハイ、「自分はIDの確認も出来ない程度の日本語能力しか持っていません」と白状しましたw 白丁乙w >誰かも言ってるが、お前が勝手にそう判断してるだけな、それ お前が勝手に「佐藤も捕虜と言っている」と言ってるだけw お前はその「捕虜」が「捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者」だという証明をなんら行っていないw >俺が聞いたのは「佐藤がどういう理由で不法ではないと断言しているか、ソースもってこい」だ >306 >素人判断で捕虜の処断を「虐殺」とする研究に対して苦言を呈していた お前如きがやるような事はとっくに佐藤氏は想定済み。 そして、国際法学者である佐藤氏が戦時国際法違反でないと断定している。 以上、自己解釈で妄想を垂れ流した挙句、自分の無能をさらけ出した負け犬の遠吠えでしたw
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874 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 22:04:46.98 ID:9E23SiR90 - >>865
>俺が聞いたのは「佐藤がどういう理由で不法ではないと断言しているか、ソースもってこい」だ 自分で書いた事さえ記憶しておく事が出来ない鳥頭な白丁乙w ↓ >845名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2011/12/22(木) 08:30:42.63 ID:mTIIo/CK0 >お前等の頼みの綱の佐藤も捕虜と言っている 「佐藤氏が言ってるのが『捕虜』だ」というソースを持ってこなければならないのはお前だw
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877 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 22:12:43.83 ID:9E23SiR90 - >>876
>佐藤が捕虜と言ってるソースなんてないんだろ、否定派にいくら聞いても出てこないんだからwww それなら「佐藤氏が言ってるのは捕虜ではない」で終了だなw 捕虜ではないのだから単なる敵兵。 戦場で敵兵を殺しただけなんだから何の問題もないなw
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879 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 22:25:31.33 ID:9E23SiR90 - >>878
「兵士が日記に『捕虜』と書いたからと言って、それが『国際法上の捕虜』を意味するものではない」 という極簡単な事をお前の日本語能力では理解できないだけw
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881 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 22:35:10.86 ID:9E23SiR90 - 私は>837ではないがバカの相手もいい加減飽きたのでw
>306 @ 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。 つ>796 >なおこの際投降の意思表示をした二五〇人は捕虜して収容し、後送の処置をとった。 >~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >二五〇人以外は【投降の意思表示をしなかった】のだから殺されて当然だなw A 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。 「南京戦史 p321 歩三三は、「下関ニムカイ急進シテ敵ノ退路ヲ遮断スヘシ」という任務をもっていた。十二月十三日、下関に向かう急進戦闘間、大量の投降兵を 武装解除して収容しようとすれば戦機を逸し、退路遮断の任務を放棄することになる。加えて捕虜として収容監視するに足る予備の兵力もなく、また 釈放すれば、十二日夜仙鶴鎮でおきたような我が後方部隊の襲撃を招くことになる。 ここでは、「捕虜」の用語が使われているが、その実態は、敗残兵、投降兵の集団であったと考えられる。」 B 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた【敗残兵】数千人の処断。 【敗残兵】wであって捕虜ではないw C 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。 戦闘詳報自体が捏造w D 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。 日本軍に戦死者が出るほどの反抗w 鎮圧されて当然w
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883 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 22:55:58.95 ID:9E23SiR90 - >>881
A補足w 敵兵が投降してから【 俘 虜 】になるのに、【 俘 虜 】がどうやって投降してくるのかとw>824 摩訶不思議な事を書いていた佐々木少将の歩兵第30旅団の戦闘詳報には俘虜に【馬匹52】とありますw 馬でも俘虜になれるんですねえw そのような国際法が存在していたのでしょうかw 第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表 自昭和十二年十二月十日 至昭和十二年十二月十四日 [俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、【馬匹52】 [備考] 1、俘虜は処断す 2、兵器は集積せしも運搬し得す 3、敵の遺棄死体 一二月 十日 二二〇 一二月十一日 三七〇 一二月十二日 七四〇 一二月十三日 五、五〇〇 以上四日計 六、八三〇 『南京戦史資料集1』P499 肯定派の信じる記録なんて所詮この程度のいい加減なものw
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884 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 23:08:15.43 ID:9E23SiR90 - >>882
>ふむ、捕虜の存在をとうとう認め、どっかのバカ否定派の「指令官が逃げたから捕虜なんていない」 >などというアホ論理をとうとう切り捨てたかwwww アホw そもそも日本軍に敵兵の降伏を受け入れる義務はないし、指揮官が存在しない連中の降伏を受け入れる義務はもっとないw (2)信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕 第三目 乞降兵の殺傷及び不助命の宣言 又事実最後まで頑強に抵抗する敵に対しては勿論のこと、会々その中に若干の乞降者ありとしても、 一々之を識別して助命の斟酌を之に加ふるなどは、戦場の実情が之を許すまい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 例へば敵が塹壕に拠りて頑強に抵抗し、我方之を撃破すべくそこに突入し、或は手榴弾を投し、或は銃剣にて敵を縦横に斬捲くる際にありては、 敵の兵器を捨て降を乞ふ者と否とを識別するの余裕ある筈は無い。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 最後の瞬間に於て乞降着の助命に気を取られたり、俘虜として収容することに力を殺いだのでは、急ぎ抵抗者に止めを刺すに機 を逸し、作戦上の迅速なる奏効を狂はすことにもなるから、獅子猛進の突撃兵としてそれを顧慮などの遑なく、 必然壕内の敵兵を十把一束的に殺傷するは勢の到底避け難き所で、それは作戦上の絶対必要が命ずるのであるから、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 之を違法視するは当らない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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889 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 23:20:42.60 ID:9E23SiR90 - >>884続きw
五一一 勿論敵陣の一部隊が全員挙つて明確に乞降の合図をしたならば、攻撃隊は之を助命すべきのが原則である。けれども 塹壕襲撃の場合の如きには総てをこの例に求めしむるは難く、又敵兵の大部分が乞降するにしても、仆れて已むまで依然抵抗 する勇敢の小部分もあるべく、その場合には乞降者も勇敢の戦友のために犠牲となるは勢の避け難き所であらう。 乞降は多くは白旗を挙げて合図するが、その白旗は之を挙げたる軍隊に限り、且その隊所属の各兵が悉く抵抗を止めたる場合 に限り保護の効あるもので、たとひ之を挙ぐるにしても、スペイトが云へる如く、『戦闘の酣なる際に敵兵中の小部分が白旗を挙 ぐるも、大部分が尚ほ依然抵抗する間は、攻撃側の指揮官は何等之を顧念するを要せずと為すのを最安全の法則』(Spaight, Land War, p.93)と見るべきである。 いや反対に、大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、 乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、 苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 勿論敵の乞降者と抵抗者とを判明に識別し得るの余力が我方に綽々として存せば別論である。 つまり司令官が不在という事は、 >乞降の意思の不統制 >一々之を識別して助命の斟酌を之に加ふるなどは、戦場の実情が之を許すまい >敵の兵器を捨て降を乞ふ者と否とを識別するの余裕ある筈は無い >一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。w 「捕虜なんていない」のではなく、司令官が不在であれば攻撃を中止する理由がないw
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890 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/22(木) 23:25:24.44 ID:9E23SiR90 - >>888
>馬は誰がみたって捕虜じゃねえだろwww つまり「記録では捕虜になっているが捕虜ではない」という事だよなw 記録が正確なものではないという実例に同意ありがとうw
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