- 日本本土決戦は、ソ連抜きなら米軍は大敗した!
1 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/12(月) 20:58:31.08 ID:zbHwt7Ya0 - 未批准の国連憲章を根拠に、参戦を合法化するとの考えは、素人には分かりにくいが、これより前
の6月26日には51ヶ国が署名していたので、すでに、国際慣習法として成立しているとの考えだろう。 ともかく、この書簡により、ソ連の対日参戦は、国際義務に違反しないことになった。 ソ連が、日本に宣戦布告すると、アメリカ国務長官バーンズはプレスに声明をリリースし、 大統領はポツダム会談で、ソ連の参戦はモスコー宣言第5項と国連憲章第103条、第106条によって 正当化されると述べたと説明した。 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou3.htm 45年8月の段階で、日本軍は兵力700万を数え、航空機1万機、軍用艦500隻を保有していた。 対する米国ほか連合国がアジア方面に投入していたのは180万人、航空機5000機である。 ソ連が中立を守っていれば、関東軍が対米戦に向かっていた可能性がある。その場合、戦争は長引き、 犠牲はより大きくなっていたはずだ。 仮想の戦いによる被害を計算することは出来ない。ただ日中戦争では、37年7月から45年8月 までの97カ月で毎月平均10〜20万の命が失われ続けた。その多くは一般市民である。ソ連による 満州攻撃がなければ、少なくとも中国は相当な被害を受けていたことになる。 さらにカルネーエフ氏は、米国による原爆投下が決定的な終戦の要因となったとの見方にも賛成できない。 「当時、原爆投下がどれだけの結果をもたらしたか、誰も知らなかった。今は数字が出ているから、 日本は原爆で降伏したと多くの人が語る。それは間違いだ。広島や長崎には巨大軍事工場も武器庫も 大部隊もなく、原爆投下で日本の軍事力が殺がれた訳ではない。だから軍事戦略上の意味はありえない。」 http://japanese.ruvr.ru/2010/08/08/14996759.html 議事録には次のようなイーカーの言葉が引用されている。 「日本にたいし航空兵力のみの使用を主張する者はきわめて重大な事実を見過ごして います。それはつまり、航空機のみが敵と対決するときは、航空兵の死傷者数は決して 低下しないという事実です。現在の航空兵の死傷者数は一度の任務につきおよそ二パー セントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです」イーカーは続けた。 「時期を逸すれば、敵が有利になるだけです」 「日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌」(T・アレン&N・ボーマー著) GENERAL EAKER said that he agreed completely with the statements made by General Marshall in his digest of the memorandum prepared for the President. He had just received a cable in which General Arnold also expressed complete agreement. He stated that any blockade of Honshu was dependent upon airdromes on Kyushu; that the air plan contemplated employment of 40 groups of heavy bombers against Japan and that these could not be deployed without the use of airfields on Kyushu. He said that those who advocated the use against Japan of air power alone overlooked the very impressive fact that air casualties are always much heavier when the air faces the enemy alone and that these casualties never fail to drop as soon as the ground forces come in. Present air casualties are averaging 2 percent per mission, about 30 percent per month. He wished to point out and to emphasize that delay month. http://www.endusmilitarism.org/WH_meeting_of_061845.html World War II (1941-1945) Total 293,121 670,846 115,185 European Theater 185,179 498,948 66,805 Pacific Theater 107,903 171,898 48,380 http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf 戦線別ドイツ軍戦死者統計 Losses per theater Theater Dead % Africa 16.066 0,3 ←アフリカ戦線ww Balkans 103.693 1,9 North 30.165 0,6 West 339.957 6,4 Italy 150.660 2,8 Eastern Front (- Dec 1944) 2.742.909 51,6 ←ソヴィエト赤軍は Germany (1945) 1.230.045 23,1 ←頼もしいよなぁ♪ Various 245.561 4,6 Total 4.859.056 http://www.axishistory.com/index.php?id=3612
| - 日本本土決戦は、ソ連抜きなら米軍は大敗した!
2 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/12(月) 21:00:39.18 ID:zbHwt7Ya0 - 一九五五年三月二十三日、マッカーサーはヤルタ会談で、自分の見解が求められなかったと非難し、
もしそのとき求められていれば、「あの戦争の末期にソ連を太平洋戦争に持ち込むことに最も強く反対の勧告を したであろう」と述べた。ところが一九四五年二月の段階では彼はこれと正反対の印象を三人の人物に与えている。 ジョージ・リンカーン准将は、マッカーサーと話し合った後、「全般計画について、マッカーサー将軍は、アメリカ軍が 日本本土をたたく前に、最大数の日本の師団を、アジア大陸で作戦させてこれを釘づけにしておくことが絶対必要である」 と述べたと言っている。 ポール・L・フリーマン・ジュニア大佐は「彼はソ連軍があらかじめ満州で作戦に参加しないかぎり、 アメリカ軍が日本本土に侵入してはならないと強く主張した」と記録している。新海軍長官のジェームズ・V・フォレスタルは、 その日記の中に「マッカーサーはアメリカ軍は日本本土ー関東平野ーで使用するため、これを温存して置かなければ ならないと言い、満州で日ソが激戦を交えるという保証がないかぎり、これはできないと言った」と書いている。 <ジョン・トーランド「大日本帝国の興亡5」 > 第二次世界大戦後、アメリカ軍はテューリンゲン州をソ連軍に受け渡し、 BMW・アイゼナハ工場はソ連の設立した企業・SMADが所持することとなり、 Sowjetische AG Maschinenbau Awtowelo, Werk BMW Eisenach(ソビエト Awtowelo会社アイゼナハBMW工場)となる。工場は6割が破壊されていた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/VEB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%8A%E3%83%8F%E7%A4%BE その結果、本来、欧州の戦後秩序を打ち立てることを目的として行われたポツダム 会議(1945年7月17日−8月2日)で成立した協定は、表面化した緊張を解きほぐす どころか、かえって対立を深めるものとなった。ドイツの非ナチ化、非軍事化、 経済力の拡散化、ならびにドイツ人の民主化教育については、各々の意見の一致が見られ、 さらに西側諸国は、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアからドイツ人を追放する という重大な決議にも同意した。しかし、追放は「人道的に実行すること」という西側諸国 の但し書きがあったにもかかわらず、その後約675万人のドイツ人が残酷に放逐された。 http://www.doitsu.com/doitsu/reisen/doitsujouhou/history02.html ソ連参戦抜きの日本本土決戦なら皇軍勝利は間違いない。なぜならばドイツ降伏後の ヨーロッパでは冷戦というタイムリミットがあるからだ。テューリンゲン地区では米軍が 撤退して赤軍が入っているし、ポツダム協定ではドイツ人追放が条項に盛り込まれている。 つまりあのまま推移すれば日本も苦しいが米英も共産主義ソ連への譲歩を強いられる。 米英の選択は日本無条件降伏を撤回するか、共産主義ソ連に媚びるか、の二つに一つだ。 スターリン暴落(スターリン・ショック) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E6%9A%B4%E8%90%BD ハーッジ・ムハンマド・アミーン・アル=フサイニー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%83%BC 敵の敵は味方、日本の敵である米英中の敵は日本の味方。戦後の経済成長は共産主義ソ連のおかげ。 小泉政権の景気拡大もイスラムテロのおかげ。まさに「敵の敵は味方」こそ勝利の方程式であり、 ナチス政権を支持したフサイニーが当時としては異例の長寿をまっとうできたのもこの戦法だった。
| - 日本本土決戦は、ソ連抜きなら米軍は大敗した!
3 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/12(月) 21:02:07.53 ID:zbHwt7Ya0 - 正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、 ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。 『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して 任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000 tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。 この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって 再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』 10.韓国B-29の旅 ソウルのハムとB-29を訪ねて(2002.11/16〜11/19) http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html >韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000 >tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。 COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS 20TH AIR FORCE 9TH BOMB GROUPC From June 5, 1944 on From February 9, 1945 on Missions 380 75 Sorties Combat 31,387 1843 Other 1,617 169 Total 33,004 2012 Bomb and mine tonnage 171,060 11,376 B-29 losses Combat losses 494 14 + 5 non-combat Training losses in U.S. 260 1 Air crew losses Killed 576 26 + 1 ground crewman Missing 2,406 96 (12 repatriated) Wounded or injured 433 30 http://www.9thbombgrouphistory.org/Chapters/Chapter_07.pdf
|
|