トップページ > 日本近代史 > 2011年12月12日 > hExWtw5E0

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名無しさん@お腹いっぱい。
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】パート2

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【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】パート2
548 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/12(月) 22:05:43.12 ID:hExWtw5E0
>541

今井武夫「支那事変の回想」より
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 午前十一時頃私は兵団司令部からの直通電話で、突然電話口に呼び出された。
 特に聯隊長を指名した電話である以上、何か重要問題に違いない。
 私は新しい作戦命令を予想し、緊張して受話器を取った。
 附近に居合わせた副官や主計、其の他本部付将校は勿論、兵隊一同もそれとなく私の応答に聞き耳を立てて、
注意している気配であった。
 電話の相手は兵団の高級参謀松永中佐であったが、私は話の内容の意外さと重大さに、一瞬わが耳を疑った.
 
 それは
「パターン半島の米比軍高級指揮官キング中将は、昨九日正午部下部隊を挙げて降伏を申し出たが、日本軍は
まだ之れを全面的に承諾を争えていない。
 其の結果米此軍の投降者は、まだ正式に捕虜として容認されていないから、各部隊は手許にいる米此軍投降者を
一律に射殺すべしという大本営命令を伝達する。貴部隊も之れを実行せよ。」
と、いうものである。

 戦闘間の命令は其の事の如何を問わず、絶対服従せねばならぬことは、厳しい軍律である。
しかしこの兵団命令は人間として、何としても聴従しかね、又常識としても普通の正義感では考えられぬことである。
 この時「?外の任を承けては勅命と雖も聴かざることあり」と、いう古い言葉が、頭をかすめた。


 私は自己の責任上避けられない立場に困惑したが、心を決めて直ちに応答した。
 「本命令は事重大で、普通では考えられない。従て口答命令では実行しかねるから、改めて正規の筆記命令で
伝達せられ度い。」
と、述べて受話器をおいた。
 
 私は直ちに命令して、部隊の手許に居った捕虜全員の武装を解除し、マニラ街道を自由に北進するように指示して、
一斉に釈放して仕舞った。
 私の周囲に居った渡辺中尉や杉田主計中尉其の他若い将校は、私の意外な指示に仰天してあっけに取られ、
棒を呑んだように息を語めたまま私を見詰めていた。
 戦後彼等の告白によれば、聯隊長の突飛な命令に吃驚りして、実際頭がどうかしたのではないかと、疑ったと述べている。

 私はこの時、兵団は恐らくこの非常識な筆記命令を、交付しないであろうが、たとえ万一斯かる命令が交付されても、
其の時部隊には一兵も捕虜を管理していない状態にしておけば、多数捕虜の生命を擁護することが出来ると、思案した結果であるが、
果して筆記命令は遂に入手しなかった。
 戦後明かにされた所に依れば、かかる不合理で惨酷な命令が、大本営から下達されるわけがなく、松永参謀の談によれば
たまたま大本営から戦闘指導に派遣された、辻参謀が口答で伝達して歩いたものらしく、某部隊では従軍中の台湾高砂族を指揮して、
米此軍将校多数を殺戮した者が居り、アブノーマルな戦場とはいいながら、なお其の異常に興奮した心理を生む行動に、慄然とした。
 勿論戦後マニラの米軍戦犯軍事法廷では、本問題も審理の対象とされ、軍司令官本間中将の罪行に加えられたと聞き、
側隠の情に堪えかねたが、同時に斯かる命令を流布した越権行為が、有耶無耶に葬られていることに対し、深い憤りを禁じ得ない。

(P178〜P179)
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一応、読みやすいように適宜改行を入れてあります。


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