- 【国際法】日本の無条件降伏論争2【歴史学】
306 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/06(火) 12:57:15.97 ID:ZGGrO4ZN0 - 昭和36年02月13日衆議院予算委員会
○荒木萬壽夫文部大臣 …当時の置かれました無条件降伏の占領中であるという客観条件のもとに、言うべきことも言い得ないままに原案が作られ、国会におきましてもことごとくGHQのアプルーヴァルをもらい得るかいなかの範囲内において制定されたことも… 昭和36年02月24日衆議院予算委員会 ○小坂善太郎外務大臣 受田さん御承知のように、講和条約を結びますときにはアメリカが主導的な地位をとりましたけれども、多数国がこれに加わりまして、 連合会議の結果、 日本は無条件降伏としてこのきめられたものをのんだわけであります。 昭和37年05月07日衆議院外務委員会 ○小坂善太郎外務大臣 私は、沖繩の状態がいかなる行為の結果こうなったかということから考えてみますると、日本が戦争に負けて、しかも無条件降伏した結果、その後の講和条約によって 沖繩の状態というものが今日あるような状態になっておるのであります。 昭和42年12月16日参議院予算委員会 ○佐藤榮作内閣総理大臣 御承知のように、アメリカが施政権を持っておるその根拠、これは一体何なんだ、日本が無条件降伏をした前戦争の結果とはいえ、アメリカが領土的野心を持ってこれらの島々を占有しておる、 そういう状態なのか、かように申しますと、これは、前戦争で私どもは無条件降伏をいたしましたが、 サンフランシスコ条約を締結した際に第三条によってアメリカがこれらの地域に施政権を持つことになったのであります。 昭和46年12月09日参議院沖縄返還協定特別委員会 ○福田赳夫外務大臣 私どもはそういう過去のいきさつを想起する。日本は無条件降伏をした。そしてカイロ宣言があった。ポツダム宣言があった。そういうようないきさつの中において、今日の講和条約のような立場に置かれ、 それを踏んまえまして今日の隆盛を来たしたということかと思いまして、たいへんしあわせな敗戦処理であったと、こういうふうに考えます。 昭和51年10月26日参議院外務委員会 ○小坂善太郎外務大臣 まあ反省と申しますれば、日本は無条件降伏をいたしましたものでございますから占領下にあった、なるたけ早く占領から脱してわが国自身の持つ力を発揮できるようにしたい、…
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