- 会 津 恨 民 族 史 3
621 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/11(金) 15:08:31.71 ID:9F4ZDCbS0 - 星が東日本大震災を取材した第一弾
「東北は負けない」 歴史に見る「弱者の逆襲」 講談社+α新書 <「はじめに」より> かつて作家の司馬遼太郎は「白河以北一山百文」という言葉をとりあげ、 もともと東北は明治政府に冷遇されてきたと言った。 戊辰戦争が原因だった。 会津藩を中心に反薩長同盟を結び、薩摩・長州軍と戦ったが敗れた。 勝利した薩摩・長州勢は、「東北の山は一山百文の値打ちしかない」 と蔑視したのである。日露戦争、日中戦争、太平洋戦争でも、 東北地方から召集された部隊は最前線に送られ、大きな痛手をこうむった。 それを乗り越えようと、東北人も戦ってきた。 薩長閥を打倒した岩手出身の平民宰相原敬は東北各地に鉄道網を広げた。 同じ岩手出身の鈴木善幸は三陸海岸の漁港整備に尽力し、 漁業を一大産業に育てた。 いまや仙台はプロ野球東北楽天の本拠地であり、 昨今、トヨタ自動車も主力工場を東北新幹線沿いにシフトし、 東北の発展はゆるぎないものになりつつあった。 その矢先の大震災だった。―― ●現場発・被災地レポート ●繰り返された天災と凶作 ●戊辰戦争の敗北から始まった近代 ●薩長主導の明治政府による東北蔑視 ●失敗した安積開拓と野蒜築港 ●稗めしと沢庵漬けの食事 ●鉄道や大学を誘致した原敬 ●なぜ福島に原発が作られたか? ●漁港と水産工場を整備した鈴木善幸 ●東北の未来はどうあるべきか 結論: 一.奥羽越列藩同盟を復活させた上での復興が最良である。 二.地震の被害を拡大させた最たる原因は、薩長による差別的政策の結果、東北地方のインフラ整備が整っていなかったためである。
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