- 司馬遼太郎の歴史観について
886 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/10(木) 06:27:46.51 ID:FVM004lC0 - ここは近代史スレなのでどうしても史実に比重を置いて語らないといかんのだけど、
司馬という作家がこんにちにいたるまで歴史観をうんぬんされるのは、 日本の歴史小説がなかなか司馬のドグマをこえて新しい史観に立った作品を ベストセラーにできない(そのため広く一般読者に届かない)ことも原因のひとつだよね。 小説すきなひとが歴史ものの小説を読もうとしたとき、どうしても司馬作品にいってしまう。
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- 司馬遼太郎の歴史観について
887 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/10(木) 06:41:57.76 ID:FVM004lC0 - 吉村昭の作品や、そのほか、史実重視の小説もあるにはあるけど、
いかんせん売れない。 司馬作品は、小説なんだけど本人が史実に忠実に書いた的なことを 書いて、さらに紀行文・随筆にまで自作の虚構を強調するみたいな 書き方で晩年まで通したから、かれの小説が近代史の歴史観の入門書 みたいになってしまい、しかも、歴史小説のひとつの手本のようにも なってしまった。 それを小説で書き換えようとすると、アンチ司馬あつかい・・・ 藤沢周平・隆慶一郎など、
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888 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/10(木) 07:01:02.33 ID:FVM004lC0 - 司馬作品は、小説としての新しさはあんまりない。
文章も、途中で司馬本来の文体から、年寄りじみた語り物の文体に変わって それで、小説としては「説明するな、描写せよ」の基本からそれて、 なんとも知れない文体で小説を書くようになった。 途中で司馬自身、小説家として新しいものを創造するのをあきらめて 歴史読み物を書く姿勢にうつっている。 丸谷才一も司馬作品は後半が破綻しているものが多いと書いた。 司馬の小説は、文学としての価値はおそろしく低いと思う。 そして、歴史読み物としての価値も・・・・ 結局、不毛な作家人生だったのに、人気だけはまだあるのが いまの日本近代史をとりまく不幸の元凶だと思う。
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