トップページ > 日本近代史 > 2011年10月29日 > xj1j/avU0

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名無しさん@お腹いっぱい。
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
戊辰戦争時の仙台藩が弱かった件について

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なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
437 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 18:37:21.45 ID:xj1j/avU0
>>432
>公論による掣肘も結局は軍事的弱体化の結果であって、戦闘で勝利をえれば
>沈黙せざるえないよ、戊辰戦争の経過を見ればね。

そりゃ新政府は武力行使によってしか政治的優位を確立する方法がなかったからね
鳥羽伏見の段階、いや江戸進撃の段階でも対内的対外的に必ずしも優位を確立できてないんだから
幕長戦争においては公論による掣肘が働いていたのは厳然たる事実
お前、結局、家近の換骨奪胎による反論は諦めて軍事力万能論に転換したと言うことだろ?

>サボタージュした藩を強調しているけど、長州と幕府を比べてみてくれよ。
>出兵を断った藩より出兵に応じた藩の方が多いし勅許も得ている。翻って長州は
>薩摩しか同盟藩はおらず朝敵認定されてる。どちらが政治的に孤立しているのは
>明らかだろ

薩摩藩しか同盟藩って、薩摩藩が参戦しなかったから萩直行便を免れて助かったんだろう
お前は圧倒的な維新の主役である薩摩藩に対する感謝の念が足りない。
参戦した大藩がどのような状態だったかは小倉口に象徴される通りだ。
先鋒総督を出した紀州藩ですら茂承が7月初めに辞任を言い出す騒ぎになっている
これでどう戦意が騰がるんだよ。幕軍は政治解決が失敗して進撃せざるを得なくなったツケが出て、
開戦後わずか半月で長州と交渉を始めてるんだが。
どうでもいいが薩摩藩の協力の成果を認めたと言うことは1人で10人を破ったとかいうアホ伝説は信じなくなったわけだな

>戦場にさらす死体が増えたところで、状況が好転するとは思えないのだけど。
>むしろ会津の軍事力の無力さが露呈して政治力が低下するんじゃ。虎の子が
>張子の虎じゃ意味無い。せめて、譜代だけでも軍制に容喙できてれば良かったのにねー。

前に見たように幕軍の敗北の原因は装備もあるが、最大原因は指揮の不徹底。
つまり言いだしっぺの一橋慶喜が直属兵力である会津藩兵を投入すればいくら犠牲が多くても征長令が出ている以上、
政治的効果は絶大なんだよ。紀州の辞任騒動も、雄藩の引き上げもその瞬間になくなる。
慶喜の最大の弱点は、手持ちの兵力のなさだからね。会津藩兵投入は局面を大きく打開する可能性が高かった
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
438 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 18:55:24.82 ID:xj1j/avU0
>>435
>あと、スペイン内戦で民兵が人民戦線軍への参入を拒否したのは、元々アンチファシズムしか
>共通点のなかった共和国政府内部での政治的対立が原因だよ。
>CNT、FAI、POUM vs 共産党の構図。これがバルセロナ事件で顕在化する。

いやスペイン内戦の政治過程はお説教不要、戦後は共産党が悪かったと言う左翼が多いんだが、
実際のところ、秩序と規律によって戦える組織を作っていたのは共産党だった
共産党がアナーキストと対立した原因はその軍事指導方針を巡る対立にある
あとアナーキスト内部でも対立が発生していた。ボランティアを徹底すると結局それは不可避になる
ついでに言えば国際旅団内部でも同じ。共産党とそれ以外の政治対立に敗因を求めるのは20年くらい前の研究
何でかと言ったら左翼の旧左翼=共産党嫌いと「自由で民族的な」アナーキスト幻想が残ってたから。
最近は非共産党系左翼内部の軍事指導をめぐる混乱もちゃんと指摘されている

>これは志願兵義勇兵に限った話ではなく、徴兵軍でも内戦時に分裂するのは同じこと。
>スペイン内戦でもそうだったし、ロシア革命でも正規軍が分裂した。

近代化と徴兵制で縛り上げた日本軍には分裂現象は起きていない
むしろ民衆の社会的地位上昇の回路として軍への過剰な支持があった
長州諸隊も諸藩有志隊や農兵もそれと同じ、ボランティアと徴兵を截然と区別できると思ってる時点でそもそもおかしい
最初はボランティアであっても最後は軍事組織にならなきゃ話にならないのはみな同じ
スペイン内戦は上述の通りだし、ロシア革命はもともと正規軍が崩壊して革命の母体になってる有様だろう

>正規軍でも志願兵は成立するよ。今の世界の軍隊は殆どが志願制でしょ。
>それに上でも書いたように、徴兵制の正規軍でも略奪に走った例は幾らでもある。特にソ連軍の蛮行は有名だが。

ソ連軍の場合は最高指揮官たるスターリンが許可したからね
まともな正規軍であれば秩序と規律が重視されるから、アナキスト民兵のように即決処刑や虐殺なんてそうそう起きない

なんか話がどんどん抽象論になってるんだけどさ、最初は仰せ付けの例が奇兵隊日記にあるじゃん
と言う話からだったよな?長州藩でも事実上村方町方を通しての徴募が採られていた
入口が志願であっても途中で国家の戦争機械化しないと使えないと言うのは分かるな?
奇兵隊日記やその他の郷土の史料に登場する凄まじい数の粛清やリンチは、
明らかに階級上昇と雇用、そして少しの幻想を持って入隊した庶民出身兵に対する藩権力の「改造」の証左だよ
奇兵隊に入隊した部落出身兵はリンチ受けて殺されてるだろ。

赤根武人は士庶平等を強く要求する傾向があったが、高杉は明らかに身分差別撤廃反対派だぞ
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
439 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 19:04:43.00 ID:xj1j/avU0
いま幕長戦争のメインは長州藩サイドじゃなくて禁門の変から第2次幕長戦争に至る幕府側の政治過程だけど、
長州藩おたくはほんとに四境戦争史観で止まっちゃってるのな。

20年〜30年くらい前まで、長州藩の勝利が必然みたいに言われてきたのは
長州藩サイドに防長回天史、奇兵隊日記、吉川経幹の開戦前の史料とか編纂済み史料があったのに対して、
幕府・征討軍諸藩側は当然ながら記録の編纂をやってないから長州藩側史料の洗脳を受ける
バラバラな史料を集めてその史料価値を論ずるところから始めなくてはいけなかった

長州戦争は、慶喜らが媒介となって朝幕一体となる政権が誕生する過程のコマに過ぎなかった
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
440 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 19:10:03.01 ID:xj1j/avU0
>>431
高杉の功山寺決起の性格については、白石正一郎が「暴挙」と非難した有名な逸話でも分かる通り、
当初は奇兵隊をはじめとする諸隊からも賛同者がなかった。文字通り偶然成功した義挙と見るのが正解
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
441 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 19:18:04.38 ID:xj1j/avU0
会津観光史学もいい加減とんでもないが、だからって時計の針を巻き戻して
近代史で四境戦争史観をはびこらせる気はないな。
長州戦争は会津も薩摩も参加していない政治交渉の延長上の戦闘なんだからなおさらだ。
政治プロセスは江戸の幕閣、幕臣、朝廷、将軍、一会桑、それを支える諸藩、批判的な諸藩、
民衆、これらの当事者の間で成立していた。極論すれば対長州方針はその反射に過ぎない。
戊辰戦争時の仙台藩が弱かった件について
261 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 19:54:42.96 ID:xj1j/avU0
真田の言ってることは正論だけど、実現可能性から言えばちょっとね
政治家である以上は、セカンドベストを模索することも必要



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