- なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
444 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/29(土) 21:57:36.08 ID:S8xJEH5u0 - >>437
>お前、結局、家近の換骨奪胎による反論は諦めて軍事力万能論に転換したと言うことだろ? 初めから軍事的失敗とくにシステムと言ってるだろーが。家近氏をだしたのは あなたが家近氏を引用しているのに >幕府にとっては勝敗がクリティカルではなかった戦争と言わざるを得ない 何て言ったからだよ。 >薩摩藩しか同盟藩って、薩摩藩が参戦しなかったから萩直行便を免れて助かったんだろう >お前は圧倒的な維新の主役である薩摩藩に対する感謝の念が足りない。 >参戦した大藩がどのような状態だったかは小倉口に象徴される通りだ。 >先鋒総督を出した紀州藩ですら茂承が7月初めに辞任を言い出す騒ぎになっている >これでどう戦意が騰がるんだよ。幕軍は政治解決が失敗して進撃せざるを得なくなったツケが出て、 >開戦後わずか半月で長州と交渉を始めてるんだが。 >どうでもいいが薩摩藩の協力の成果を認めたと言うことは1人で10人を破ったとかいうアホ伝説は信じなくなったわけだな 感謝ってなんだよw感謝ってwwアホな伝説も何も動員兵力差を比べれば間違ってねーだろ。 >前に見たように幕軍の敗北の原因は装備もあるが、最大原因は指揮の不徹底。 装備といより幕府の兵制だと原則諸藩の軍事編成に口出しできないのよ。 >つまり言いだしっぺの一橋慶喜が直属兵力である会津藩兵を投入すればいくら犠牲が多くても征長令が出ている以上、 >政治的効果は絶大なんだよ。紀州の辞任騒動も、雄藩の引き上げもその瞬間になくなる。 >慶喜の最大の弱点は、手持ちの兵力のなさだからね。会津藩兵投入は局面を大きく打開する可能性が高かった いくら征長令が出ていても虎の子の軍事力を使ってもそれを実行する力が無ければ、ますます政治的失墜が 酷くなるだろ、普通に考えれば。
|