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名無しさん@お腹いっぱい。
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】

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昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
744 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/08(土) 15:27:59.21 ID:AKlWMUDd0
アメリカ………ベトナム戦争でベトナムに謝罪したことは一度もない。
イギリス……香港を植民地にしていたのに謝罪したことは一度もない。
フランス……ベトナム・アルジェリアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
オランダ……インドネシアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
ポルトガル……マカオを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
ドイツ………ナチの虐殺行為は認めたが、侵略を謝罪したことは一度もない。
ロシア………東欧諸国を戦後弾圧し続けてたが、民主化後謝罪したことは一度もない。
スペイン……フィリピンを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
中国………世界各地で昔も今も侵略と虐殺を続けてるが謝罪したことは一度もない。
北朝鮮………朝鮮戦争で韓国を侵略したことを謝罪したことは一度もない。
韓国…………朝鮮戦争で北朝鮮を侵略したことを謝罪したことは一度もない。
日本…………全ての戦禍国に何度も謝罪している。ついでに賠償までしている。


昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
745 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/08(土) 15:45:50.55 ID:AKlWMUDd0
「天皇の話はこうだった。
 『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で
行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。
あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』
大きな感動が私をゆさぶった。
死をともなう責任、それも私の知る限り、
明らかに天皇に帰すべきでない責任を、
進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。
私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても
日本で最高の紳士であると思った」
(マッカーサー回顧録一九六三年)

天皇とマッカーサーの会見は、はじめ一五分の予定だった。
しかし、マッカーサーは天皇の態度に深い感銘を受け、
会見は三五分にも及んだのである。
会見がなされると、その会見の要旨は後ほど通訳の手で文書にまとめられ、
侍従長に渡される習慣になっていた。
会見の翌日、藤田侍従長は、会見における天皇の発言の要旨を
文書にまとめたものを、通訳から受け取った。
藤田氏は、いつものようにそれに目を通したうえで、
天皇のもとに提出した。
藤田氏はこのとき、メモをとらなかった。
しかし彼はのちに、その内容について二つの点を
はっきり憶えていると言って、次のように著書の中に書いている。
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、
責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、
彼らには責任がない。
私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。
この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』
一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、
この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。
『かつて、戦い破れた国の元首で、
このような言葉を述べられたことは、
世界の歴史にも前例のないことと思う。
私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、
日本軍の復員が順調に進行しているのも、
これすべて陛下のお力添えである。
これからの占領政策の遂行にも、
陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。
どうか、よろしくお願い致したい』」
とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和三六年)。

【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
977 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/08(土) 16:12:53.46 ID:AKlWMUDd0
アメリカは、有色人種たる日本に、リーダーシップを渡したくなかった。それ
が当時アメリカで興った「黄禍論」につながる。
当時のアメリカがアジア人をどう見ていたかは、日本の提唱で審議された「人
種差別撤廃」案件が、圧倒的多数で決議されそうになった際、議長国アメリカ
のウイルソン大統領の「全会一致じゃなければ認めない」という意見が通り、
結局否決されたことを見ても明らかだ。当時の日本人は、誰しも「正義は我が
方にあり」と思っていた。だから、敗戦で大の大人が声を出して泣いたんだと
思う。アメリカはディベートに力を入れている国で、正義さえも後から作れる
と思っているところがある。だから、善悪を逆転させる為にも「極東国際軍事
法廷(東京裁判)」を開き、出版規制までして日本が悪かったとのイメージを
国民、国際社会に植えつけた。その洗脳工作と、その思想の蔓延を利用して革
命達成を目指した戦後左翼によって、洗脳され上記のように日本国批判をする
国民が出来上がった。以上が真実である。


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