- 【派閥】統制派vs皇道派・条約派vs艦隊派【抗争】
169 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/09/27(火) 01:47:05.82 ID:vksgIKy+0 - >166
満州事変の少し前、参謀本部では橋本欣五郎や建川美次といった強硬な姿勢の持ち主たちの 主導する「情勢判断」をもとにして、満州の武力占領までを視野に入れた関東軍との連携を 想定していたようだけれども、永田ら陸軍省側はそれを何とか穏当な方向へと持ってゆくべく、 陸軍省と参謀本部の主要部署の課長を招集して「五課長会」を開催して、六月十九日に 「満蒙問題解決方策の大綱」を提出した。 5課長会の面子は以下の通り。 永田鉄山 陸軍省軍事課長 岡村寧次 陸軍省人事局補任課長 山脇正隆 参謀本部総務部編制動員課長 渡久雄 参謀本部第二部欧米課長 重藤千秋 参謀本部第二部支那課長 そして、会長に建川美次参謀本部第二部長をおいて、強硬派に言うことを聞かせる下地を用意した。 そこで策定された内容が大ざっぱに言うと、以下のような感じ。 「満州での張学良による排日政策を受けて、いずれは武力行使を行うこともやむを得ない。 けれども国内向けの根回しなり関係部局の了解を得るなどして、あくまで軍中央が政府と 意思疎通を行いながら限定的にかつ慎重に行動を起こす。その際には諸外国の理解や支援を 得られるように対外的な外交施策もぬかりなく行うことを必要とする」 森靖夫『永田鉄山』(p155-p156) 大ざっぱな要約だけれども、正確な文章を読みたい人は同書に当たって下さい。 ほぼ同内容が、森の「日本陸軍と〜」にも載ってたと記憶している。 他にも、朝鮮軍の独断越境の方に接して、参謀本部は政府による閣議決定を経ずとも天皇への 帷幄上奏を行って事後承諾でかまわないとして書類を作成して今村均作戦課長が書類を作成して 永田の処に廻して捺印を求めてきたのを断固反対を貫いて撤回させてる。 経費の支出を伴う出兵を閣議の承認も経ずに行うのは不当であり、ひいては天皇に災いすることに なると主張していた。 結局、若槻内閣が閣議で出兵を認めて経費支出も追認したから結果的に帷幄上奏の必要がなくなり 正式な「国家としての武力発動」となって、一応の形は調えられたのだけれども。 上記の部分で示された永田の言動を見ても、花谷正・片倉衷といった連中が上京した際に 「永田に相談したら、止めろと言われた」といった内容の戦後の回想などを見ても、 満州事変については、全般的に永田は批判的に見ていたと言って良いと思う。
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