- 龍馬暗殺の黒幕5
523 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/22(木) 04:52:10.38 ID:c0hQis7N0 - 岩倉具視による、会津が大政奉還阻止に怒り狂っているという記述は、日記というよりは書簡ですな。
岩倉具視から大久保一蔵(利通)への書簡(慶応3年10月16日付) 会狂気の如く憤然是非薩邸を討つなど段々申し候由 万事畢竟は西小大の三人これあるゆえ也 土には云云芸云云これらを斃すべしと種々議論ある由・・・・・・ 薩摩ではこれを見た直後、17日に小松・西郷・大久保の三人は京都を離れ、 同日には吉井幸輔(友実)が坂本龍馬を訪ね、身の安全を図るように助言を言い残しています。 薩摩は、土佐藩の大政奉還建白書提出には、討幕挙兵に迷いを生じさせるといって難色を示しましたが、 徳川慶喜が受け入れの姿勢を示した途端に、幕府を政権から引き摺り下ろすまたとない機会として 積極的に朝廷に大政奉還受入れを進言します。しかし会津は大政奉還自体に大反対だった。 そして後藤象二郎が会津藩に大政奉還建白書提出を告げた直後から、近藤勇とその配下の新撰組の不穏な行動が続く、 この最中に坂本龍馬と中岡慎太郎は殺された。
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524 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/09/22(木) 05:18:42.81 ID:c0hQis7N0 - とりあえず訳も付けましょうか
会津は狂ったかのように憤然とし、薩摩藩邸を討伐するなど言っている。 こんなありえない事態になったのはみんな西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通のせいだ、 土佐の誰某、安芸の誰某も殺してしまえ、といろいろ議論をしている。 土佐の誰というのは、おそらく、大政奉還建白書を出した後藤象二郎や福岡藤次らのことになります。 坂本龍馬や中岡慎太郎が含まれているのかは、ここではよくわかりません。 安芸に関しては、忘れられがちですが土佐藩が大政奉還建白書を出して間もなく、安芸浅野藩も大政奉還建白書を出しています。 討薩表並みの出し遅れで、現在では誰の記憶にも残っていませんが、提出しています。
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528 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/22(木) 19:49:56.02 ID:c0hQis7N0 - 松平容保は、朝廷には辞めるといいながら結局辞任せず、
徳川慶勝による辞任要求には頑として応じませんでした。 これでは、 >要するに容保はやる気を失っていたと思わざるをえない。 >大政奉還のときも、これといった動きは何もしていない。 >そういう人間が龍馬暗殺指令を出したとはとても思えない。 という見解は事実誤認も甚だしく、松平容保は辞任をほのめかすことで周囲の譲歩を得る詐欺を常用していた と記するしかないでしょう。 松平容保は当時大政再委任を主張し、大政奉還を勧める諸侯や徳川慶喜・板倉・永井らとも対立していたのですよ。
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529 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/22(木) 20:03:21.19 ID:c0hQis7N0 - 辞める辞める詐欺といえば、松平定信が政敵を葬り無理な政策をごり押しする際によく使った戦術でした。
それゆえ、結局辞任もせず、実際に実兄が辞任を迫った際は拒否してしまうような辞意が、本心とは思えません。 「松平容保は辞めるつもりだった」説は中村彰彦が執拗に唱えていますが、松平定信の一件との兼ね合いから 辞意とは譲歩を得るための詐欺だった、という説の方を研究者は重視しているというのをお忘れなく。 そして実際、松平容保は東北戦争時でも京都時代の地位を名乗るのを止めませんでした。
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