- なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
293 :194[sage]:2011/09/22(木) 20:01:17.63 ID:M6W05vJB0 - >>262
諸藩は軒並み財政が悪化してましたのでもともと士気が低くかった。 幕府軍は確かに海軍に関しては長州より優勢でしたね。失念していました。 陸軍に関してはライフルは導入中という記述を見たので、オールライフルの長州と比べて 劣っていると評しました。
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294 :194[sage]:2011/09/22(木) 20:52:53.88 ID:M6W05vJB0 - >>276
>士気の低さに関しても、やはりその原因はもっぱら政治的拙劣さに由来すると言うべきです。 >現に幕府歩兵は長州に匹敵するだけの装備を持っていました。 >『長州戦争―幕府瓦解への岐路』 >『幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団』 その二つの書にも書いてあるように、長州軍は志願兵でしたけど、幕府歩兵は嫌々ながら 徴集されてましたから。 >総じて、第二次征長戦争における幕府の敗北に関しては、軍事的側面よりも >政治的拙劣さに多く拠っているように思います。 政治的拙さでいえば当事の長州の方が追い込まれているのですよ。 長州・・・朝敵認定をくらい官位を剥奪され、同盟軍は薩摩だけ。 幕府・・・長州征討の勅許えて、諸藩十数藩を動員。 >幕府がその政策を変えていたとしても自然発生的に自国内で産業革命が起こった訳はないし、 戦争と貿易はあくまで必要条件ですからね。しかし、必要条件である以上それが無いと近代化は できないのですよ。例えば幕府でも天保の改革での上知令は既得権益層の反対で頓挫しました がそれ以上に過激な慶応改革はそれなりの成果をあげてました。もっとも長州に比べれば、まだ 甘かったのですが。 >少なくとも、長州や薩摩があの時点で政権を取っていたら、無謀な攘夷戦争を仕掛けて >清におけるアヘン戦争後の半植民地化を強いるような条約を結ばされていたと思います。 薩摩は当初から開国派ですし、長州も航海遠略策を出してますよ。
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295 :194[sage]:2011/09/22(木) 21:31:26.64 ID:M6W05vJB0 - >>278
>では、新政府が条約改正を勝ち取るまでの間は日本は植民地になっていたかと言えば、 >そんなことはありません。 居留地も清の租界も当初は同じようなものでした。ところが清は失政を重ね租界は侵略の 拠点になってしまいました。居留地がそのようにならなかったのは新政府の近代化が成功 したからですので>つまり日本も一度負けているのを取り戻したわけですよ。 と評しました。 >分割返済ということを認めてくれたからこその話で、強引に領土の割譲や >租借を押しつけらてしまっていた可能性だって皆無ではないのですよ。 近代化に成功した史実の日本はロシアやドイツからも領土を得ているので たとえそうなっても問題なかったと思われます。ただあくまでこれはifですので どうとでも言えますから。難しい。 >幕府がそういう戦術を採らざるを得ないまでに追い詰められたのは、 反対体制派にそこまで追い詰められるのは拙いですよ。
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296 :194[sage]:2011/09/22(木) 22:04:56.17 ID:M6W05vJB0 - >>279
>あまりにも「後世の視点」から当時を断罪するという部分が強いように思います。 欧州諸国と比べるから筆が厳しくなるのであって、他の非欧州諸国、例えば清やオスマン帝国 と比べると逆に甘くなりますよ私はw 「後世の視点」からといわれても、私は後世の人間ですので。 >大筋においては幕府の施策の大部分は「小さな政府」を目指したものと言って良いと思います。 小さな政府という言葉における政府の対義語は市場なのですよ。その市場に鎖国という強い規制を かけている以上小さな政府の概念とは違うものになる。ただ財政状況が悪いというだけではそうは いえないと思います。
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297 :194[sage]:2011/09/22(木) 22:15:08.27 ID:M6W05vJB0 - >>286
イングランドの人口は1700年で520万、1800年で890万ですよ。 それにヨーロッパも18世紀は成長期です。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.html 逆に日本は低定期。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html
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