- 徳川慶喜を語ろう
338 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/09/17(土) 12:53:16.51 ID:x2jwE8ci0 - まぁ、阿部をどう評価するかってのも慶喜の話につながってるからね。
安倍政権下では一応をまとまっていた「幕府」内部の側にいた、水戸と彦根が なぜ対立していったのかってのは、慶喜の人生に大きな影響を与えた要因だけに 考察をしておく必要はあるでしょ。
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- なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
191 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/09/17(土) 13:10:06.77 ID:x2jwE8ci0 - >189
対外国向けの軍備としては問題があったかもしれないけど、江戸期の軍備ってのは 基本的に国内の治安を主眼としたモノだったのだから、「脆弱」と言って切って 捨てるのはどうかと思う。 江戸期の日本がそれなりに豊かで落ち着いた生活環境をその国民に与え得たのは、 司法や行政、それに軍備といった「公権力」が肥大化するのを抑えて、国家運営に かかるコストを切り詰めたこと。 それから、支配階級が被支配階級から過酷な収奪をしないという基本的な統治方針が 堅持されていたことに理由を求めることが出来ると思う。 鎖国をしている間に西欧各国から後れを取って後進国化してしまったことは事実だけど、 教育の水準を高めて(識字率の高さ・教育機会の均等化)、独特の分化を醸成して、 国民が「太平の眠り」に沈むことが出来るくらいに、安定して穏やかな社会を築いていた こと自体は、賞賛されて良いことだと思う。
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- 【派閥】統制派vs皇道派・条約派vs艦隊派【抗争】
131 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/09/17(土) 13:49:02.10 ID:x2jwE8ci0 - >130
原が死んだことで目論見が狂っちゃったってのはその通りだと思うけど、 陸軍内で手詰まりになったから政界に転身したというのは必ずしもどうかと。 むしろ、田中は大正デモクラシーの高潮によって粛軍ムードが強くなっている状況と、 その空気を受けた政党政治による陸海軍への圧迫をはねのけるために、政党政治の中に 入り込んでいって、政友会を陸軍よりの政治勢力へと変えることを考えていたのだと思う。 田中が陸軍を退役して政治家になった頃の状況は、その数年後の張作霖爆殺事件を 契機にわき起こってきた「昭和陸軍の胎動」という予感はまだほとんど無くって、 山梨軍縮・宇垣軍縮といった軍備縮小を飲まざるを得ない状況に追いやられたいた。 田中の政界進出は、在郷軍人会の三百万票という武器を携えて、政党政治を切り従えて 陸軍という組織を積極的に防衛するための手段であったと考えてる。 この辺は小林道彦の『政党政治の崩壊と満州事変』からの受け売りだけど。
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