トップページ > 日本近代史 > 2011年09月07日 > RRAAkKcu0

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名無しさん@お腹いっぱい。
龍馬暗殺の黒幕5
司馬遼太郎の歴史観について

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龍馬暗殺の黒幕5
243 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/07(水) 19:18:39.22 ID:RRAAkKcu0
永井が、松平容保ではなく近藤勇に坂本暗殺を行ったか否かの尋問を行った理由は、
若年寄格ではあっても藩主ではない永井は、以前の奉行をやっていた時などの上位者にして
藩主である松平容保や松平定敬を尋問することが憚られた、ということでしょうね。

当時の永井の昇進は異常なレベルに達していました。周囲や部下はかつての上司ばかりだったのですから。
龍馬暗殺の黒幕5
247 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/07(水) 21:18:40.58 ID:RRAAkKcu0
>>245
>243、244はまったく答えになっていない。
この文の方が答をはぐらかしている。問題から逃げてはいけない。


松平容保が見廻組や新撰組へ暗殺の有無を照会することは、
記録はないが当然上司として行う必要がある。
しかし記録は残っていない。

理由は、
1.松平容保が暗殺にかかわっていないのなら、ここで佐々木を実行犯とする証言があったので、
幕府は暗殺にかかわっていないという表向きの公式見解を作るために隠蔽された
2.松平容保が暗殺事件の首謀者なら、犯人は自分だったし実行犯も知っていたので尋問を行う義務を果たさなかった
ということになる。

少なくとも京都の旧幕府首脳は、暗殺後には実行犯が見廻組の佐々木という確証を得ていたと思われる。
何しろ新撰組の近藤勇だけでなく、一般隊士までもが見廻組の佐々木が実行したと知っていたのだから。
暗殺実行犯が誰かは、旧幕府上層部が調べれば分かることなのだから。

そして暗殺命令者が誰なのか、それは京都の旧幕府上層部内の誰かということになり、記録自体が憚られる状況となる。
松平容保が近藤勇らに尋問を行った記録がないという事実は、松平容保の暗殺事件への関与を示唆するものと言えよう。
司馬遼太郎の歴史観について
791 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/07(水) 21:37:32.97 ID:RRAAkKcu0
いや、山本五十六や東北系の海軍軍人が全て和平派だった、と礼賛する部分や、
(実際はこれらの軍人も中華民国征服へは極めて積極的だった)

東北地方出身の陸軍軍人が、東北の貧困打破を語りながら満州や中国へ侵略の手を広げ、
満州地域は、東北地方からの入植者が地元の中国系住民を奴隷酷使しては、更に日本へ資金投下を求める状況だったことを隠蔽し、
代わりに、「陸軍は長州の侵略主義に染まっていた、長州だから悪なのだ」と話を持っていく部分に気を付ければよいのであって、

軍事侵攻を正当化する産経新聞あたりの軍国正義神話と比べれば、半藤の昭和史はずっとマシなんだよ。


半藤一利の問題は
・東北地域は絶対に正しい
・薩長は悪い
・資本主義は悪、農本主義推進で資本主義全滅こそ武士道
・成り上がりはろくなことをしない。血統と家系のある階級が他を使役することこそが武士道であり正義
という一連の腐った思考にある。

第二次世界大戦前の、日本が貧困を中国への侵略収奪で解消しようとしていたことへの批判は、間違ってはいない。
ただし、その首謀者を東北人を外して薩長薩長と言い募るすり替えが断じて許せないところだが。
龍馬暗殺の黒幕5
252 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/07(水) 21:59:54.31 ID:RRAAkKcu0
>>249
江戸で無役だった勝海舟は知りませんでしたし、見廻役の小笠原も、
計画自体知らなかった、当時見廻組は佐々木が自分を介さずに行動していた、と言っています。

しかし近藤勇は佐々木が暗殺をやったと知っていましたし、他の隊士の前でおおっぴらに語っています。
そして見廻組隊士は、きちんと公務として恩賞をもらっています。
その後、見廻組は犯行を隠すために隠れていましたが、これは旧幕府自体が犯行を隠蔽したことを意味します。

旧幕府は犯行にかかわっていないと公式にはされましたが、内部では口止めされながらもある程度犯人を知りうる状況があったと思われます。
もちろん、京都にいる旧幕府上層部なら事情は把握していたでしょう。

>>250
ウソを書くということと、本当のことを省略して書かないということは、意味が違います。
前者は明らかな偽証ですが、後者は逃げる余地があります。
この場合は近藤勇は「私はやっていない」と証言できますが、佐々木只三郎は偽証を避けるなら「私は・・・・・・」しか言えないわけです。

当然あるべき部分を書かないということは、松平容保と坂本龍馬の会見の有無についてもあります。
坂本龍馬は永井同様に松平容保に会見したと言明しているのに、永井には面会記録があって松平容保には面会の記載がありません。
龍馬暗殺の黒幕5
255 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/07(水) 22:36:47.88 ID:RRAAkKcu0
>>254
並べて言及している永井への訪問は他の史料からも確認できるのに、
松平容保への訪問を偽書扱いするのは無理があります。

そのように主張するなら、他の史料と整合性のない今井弟の手紙など考慮する余地もありませんよ。


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