トップページ > 日本近代史 > 2011年09月07日 > 20bINL/50

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shin
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】

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【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
597 :shin[shintakahashi@hb.tp1.jp]:2011/09/07(水) 15:07:07.37 ID:20bINL/50
 大日本帝国の対外関係には、
@江戸時代に結ばれた不平等条約の改正
A征韓論に見られるアジアへの侵略
という二つの性格が見られました。これらの二つの性格は、太平洋戦争まで続いていました。

戦争に至った直接的な原因は、A征韓論に見られるアジアへの侵略的性格が、すでに欧米の植民地であった中国において、欧米とぶつかったためということが挙げられると思われます。
・この傾向はすでに日清戦争の後の三国干渉において見られています。
・第一次世界大戦において、日本は日英同盟を理由にドイツの中国・太平洋の植民地を攻撃しましたが、イギリスはこれを制止していたという事実もあります。
・浜口内閣の金輸出解禁は、@の条約改正的な性格ですが、恐慌の最中、金輸出を敢えて行ったことは、欧米から高く評価されたようでした。
 しかし、浜口首相は、Aの血盟団に暗殺されてしまいます。こうした事件(5.15事件、2.26事件)が、この後、頻発し、日本においてはもはや、Aの
 征韓論の性格が勝ってしまうことが多くなっていったのです。
・満州事変において、国際連盟のリットン調査団が日本の正当性を認めなかったことにおいて、この傾向はより顕著となりました。
・@の性格ですと、ワシントン軍縮公約やロンドン海軍軍縮条約は遵守するべきとなりますが、日本は国際連盟を脱退してからは、こうした条約でも期限が切れ
 れば破っても平気になっていたのです。
・しかし、Aの性格は飽くまでアジアへの侵略ですから、欧米との直接対決は避けたかったので、@の条約改正の性格が出て、欧米との戦争を回避しようと努め
 だすことになりました。
・最終的には、真珠湾攻撃という形でアメリカとの戦争を日本は開始しましたが、これはやはり、ロンドン海軍軍縮条約とワシントン軍縮条約に違反した戦艦を
 建造したがために、英米から追い込まれていって、戦争を開始したということになるのではないでしょうか。


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