- 龍馬暗殺の黒幕5
83 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 02:12:54.73 ID:FL9RrCL60 - なんだか、永井犯人説しか信じない迷惑な人間がいるが、
動機を考えれば永井ではなく松平容保だろうに。
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86 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 03:00:45.07 ID:FL9RrCL60 - かといって、大政奉還に乗っかろうとしていた人間の可能性は更にないわけで、永井よりは容保だろう。
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94 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 19:04:53.06 ID:FL9RrCL60 - >>93
この説は成立しないと思う。 同時代の岩倉具視書簡には、松平容保は大政奉還に激怒し撤回を求めたとあり、 その後の松平容保の行動でも、>>93の引用部分を省略せずに話すと、 越前藩の公式記録には手代木・小野ら会津藩首脳に大政奉還受入れを説得したが、 会津藩は全く納得しなかったとある。 つまり、>>93で恣意的な引用がなされており、松平容保および会津藩が大政奉還を了承していたという記録は、 後代の「京都守護職始末記」及び「慶喜公伝」に限られ、松平容保は大政奉還を全く了承していなかったという 意見の方が研究者では主流となっている。 以上の理由から、「大政奉還が暗殺理由であったとしても、容保説より永井説のほうが蓋然性が高いのである。」 という主張は成立しない。大政奉還は松平容保は受け入れていなかった。松平容保こそ容疑者と考えざるをえない。 また、>>93では恣意的な引用が見られる。手代木や小野が会津藩の見解として大政奉還を拒否し、 松平容保の意思と言明していることを、あなたは隠して見解をまとめた。
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95 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 19:11:57.90 ID:FL9RrCL60 - 見解をまとまる際、明らかな隠蔽を弄する人間の見解が正しいのでしょうか?
「板倉はまだ不満を持っていたので、春嶽が説き、手代木にも奉還は仕方のないことだと説き、中根雪江をして永井や渋沢にも説いた、とあるから、 容保や定敬は了承していたが、板倉、手代木、永井、渋沢はまだ不満をもっていたと思われる。」 これは慶喜公伝からの引用から得られた見解といいましたが、後半部分はどこを探しても、あなたのような見解は得られません。 むしろ同時期史料から言うと、容保や定敬は了承していなかったというのが現在の見解ですよ。
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99 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 22:46:56.55 ID:FL9RrCL60 - 丁卯日記によると、
慶応3年11月28日 松平春嶽は会津藩公用人、手代木直右衛門を呼び出し手代木は 「肥後守(容保)は元より家来共も一同、大政奉還を批判し旧幕制でなくてはならない」と言った と記述があります。 日記だから個人記録だろ、というのは大きな誤りで、これは越前藩の公式の立場の人間の行動記録です。 板倉勝静側近の魚水実録も同様ですね。
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101 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 23:03:03.45 ID:FL9RrCL60 - 松平容保が忠君の志を持っていた、というのも根拠のない通説であることを忘れてはいけない。
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102 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/01(木) 23:08:20.48 ID:FL9RrCL60 - 永井が大政奉還推進とされるのは、大政奉還後の江戸表要人(大政奉還反対派ばかり)との会談の席で、
板倉・小笠原及び永井のみが肯定的な意見を出し、他の旧幕府要人は絶対反対であったと記録に残っているからです。 つまり、この時点で板倉・小笠原及び永井は大政奉還の上に立って新政権の主導権をとることを主張し、 松平容保・松平定敬あたりは大政奉還に反対するのを止めなかったという事です。
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