- 龍馬暗殺の黒幕5
33 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 12:15:55.74 ID:ZY+96W5U0 - >>29
容堂の意向に逆らう部分があったら、当然訂正されたでしょうね。 松平容保が無責任な馬鹿と考えているとしたら、君は松平容保の幕末に果たしたことを過小評価している。 >>31 >だから何回も言うけど、新選組が、内ゲバでもなく、粛清でもなく、公務執行でもなく、 >幕府以外の人間の暗殺を行った例があるなら挙げてくださいよ。 君が勝手に限定しているだけで、新撰組や見廻組が公務と主張して人を拷問にかけて殺した例はあるではないか。 >なぜなら油小路の変の指令者として永井の噂が立ったという例があるのだから。 正親町三条の日記では、近藤勇が「土佐藩が伊東甲子太郎を殺した」と言っている件について討議、とある。 つまり、永井という噂とは裏腹に関係者の間では松平容保とその部下としての新撰組犯行という証言が得られていたと考えられる。 現にこの後で、旧幕府は新撰組には表面上処分が下り、中身はそのままで改名することになる。 新撰組が天皇配下の御陵衛士を殺傷した件及び、坂本龍馬を殺傷した(と土佐藩が主張した)ことが改名の原因とされている。 要するに、永井よりも確実な情報として、関係者の間では松平容保とその配下の新撰組犯人説が流れていた。 君が永井永井と言っている件で、関係者は松平容保を犯人にしているのですよ。
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34 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 12:36:05.40 ID:ZY+96W5U0 - >>32
常識的に考えて成立しないと判断された説を、ボクの常識は常識ではないといって持ち出すのは不合理です。 少なくとも、持ち出すだけの論理が必要ですが、あなたにはそれが全くない。 >ごく常識的に考えて、討幕派にとっては穏健派の龍馬は邪魔だからだ。 研究者の多数意見では、坂本龍馬は穏健派ではないのですが。 >薩摩はその段階では討幕ではなかったとか、龍馬は穏健派ではなかったとか諸説あるが、それらも説に過ぎない。 薩摩は基本的に討幕派だったと思われますが、外交上の協議の用意を無くすことはありませんでした。 研究者が提示する論理がある説と、あなたも論理を出せないような説 (例「ごく常識的に考えて、討幕派にとっては穏健派の龍馬は邪魔だからだ。」)を 一緒にするのは欺瞞です。 依然として、薩摩や岩倉には龍馬は邪魔だったという説は成立しうるのだ。 >あなたの心の中でしょう、一般的な研究者の説ではないし、まして常識的な説でもない。 >おまけに龍馬を殺害したのは薩摩人だという史料も存在するのだから、 根拠が極めて乏しい、あいつは気に入らない的な文章しか見当たりません。 >薩摩説を検討しないのはまちがっているのである。岩倉説も当然検討しなければいけない。 理由がありません。そして岩倉説の論理とやらは提示されていませんが? あなたの文章は偏見を連ねて、常識だろ、と論理も無く偏見仲間を集めようとするだけじゃないですか。
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35 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 12:43:33.58 ID:ZY+96W5U0 - >>30
>大正13年の「維新史蹟図説」でも井口家の人の談として佐々木只三郎と龍馬が話しているのが聞こえた、という証言があり、 >近江屋新助が佐々木只三郎の声を知っていたらしい形跡がある。 この考え方は変です。話し声が聞こえたので坂本龍馬が客人と会っているのだろうと思った、程度の意味じゃないですか。 あなたの文章には邪推が目立つ、その上結論が「新助は暗殺団が見廻組と知っていながら、谷らにはそれを話さなかったと思われる。」 なのですからあきれます。新助が知っていて話さない論理がありません。
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40 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 21:20:19.26 ID:ZY+96W5U0 - >>38
その解釈はおかしい。 たとえ会話が聞こえたとしても、近江屋新助は坂本龍馬と佐々木只三郎の会話と断定することが出来ない。 君は場合場合によって、佐々木が斬ったと言ったり今井に斬らせたり、想像を挿げ替えては「正しいのである。」と勝手に宣言している。 実際は佐々木が言ったとは断定までは出来ないし、近江屋新助は「おそらく龍馬と押し入った相手の首領が会話をしたのだ」と言っているに過ぎない。 これで、近江屋新助と佐々木只三郎は事前に面識があったのだ、と君のように勝手に結論を下されては、こちらは君の破廉恥さに頭が痛くなる。 正親町三条の件だが、 近藤勇の当時の供述のように「御陵衛士を切ったのは土佐藩である」と正親町三条が考えているのなら、 この直後に、新撰組への旧幕府の処遇が怪しくなり、大阪に徳川慶喜が向かうと同時に新撰組は表面上廃止、 実際は単なる改名という処遇がなされる理由が乏しくなる。 もっとも、当時土佐藩は坂本中岡暗殺犯を新撰組と断定し処遇を求めていたので、それだけでも理由にはなるのだが。 どちらにしても、伊東甲子太郎暗殺後まもなく、事件の真相・近藤勇ら新撰組隊士による殺害が露見した事を考えれば、 既にこの日の中川宮との話し合いの段階で、薩摩派の正親町三条は近藤勇ら新撰組の犯行という証言を入手し、 佐幕派の中川宮へ詰め寄ったと私は考える。 高台寺党残党の薩摩藩邸への駆け込みは、事件当夜(実際は翌日夜の明ける前)だったのだから。 要するに、君が永井と叫ぼうとも、この時点で関係者の間では既に、伊東暗殺は新撰組及びその上司の松平容保の犯行として取りざたされていた。 >>39 支度金と暗殺料が同じ? 馬鹿な物言いだ。それを認めたなら新鮮組隊士は大金持ちですよ。
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41 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 21:37:33.96 ID:ZY+96W5U0 - どうも、実際は松平容保の関係した事件を、無理に永井という噂があるから永井という噂もあるから、と
永井と結び付けようとする変な意見があって困る。 伊東甲子太郎暗殺は、近藤勇ら新撰組の犯行であり、彼らの上司は松平容保であった。 坂本龍馬及び中岡慎太郎暗殺も、当時は新撰組犯行説が強く、当然上司は松平容保だ。 どちらにしても当時の世評を話せば、世評では犯人は松平容保とする説が有力だった、ということになってしまう。 わざわざ永井にする理由がない。
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42 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 21:46:58.59 ID:ZY+96W5U0 - 坂本龍馬及び中岡慎太郎の暗殺は、
松平容保が命令を下し、会津藩士手代木直衛門が命令を伝達し、 犯行の実行は見廻組佐々木只三郎が行ったということが種々の傍証から極めて有力視、 現在では、ほとんど既知の事実とされています。 それに疑問を呈するにしては、あなたの話はでたらめが多い。
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44 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 23:26:17.48 ID:ZY+96W5U0 - >>43
それは君の考えの方が意味がない。 1.君は近江屋新助と佐々木只三郎は事前に面識があったのだと主張する。しかしそれは>>40で示すように論理がない。 2.「50両が支度金だったとしたら、新選組の例から考えて、信憑性が出てくるとわたしは言っているのである。」 これは尚更論理がない。 はっきり言おう。そのように職務上の暗殺行為で毎回多額の現金を受け取っていたら、新撰組隊士は大金持ちになっている。 職務上の通常の褒美としては多すぎるのだよ。その他にもいろいろ不審なつじつまの合わない点の多い手紙を、未だに掲げている君は不可解だ。 3.「新選組の上司は容保なのに永井の名が出ている、そこが問題なのですよ。」 論理外れもいいところだ。正親町三条は伊東甲子太郎暗殺事件の直後には、新撰組の近藤の言う土佐藩犯行説ではなく、 犯行は近藤勇ら新撰組自身の手による暗殺であったことを把握していたと思われる。 高台寺残党は甲子太郎暗殺当夜には面識の無かった薩摩藩邸に逃げ込み、薩摩藩に事件証言を行い自らの保護を求めているのだから。 ゆえに、永井云々という話は前座で、実際は真犯人である近藤勇ら新撰組が天皇の護衛を殺したという罪状報告と、中川宮への対処要求に 話の本題があったのではないかと推定できる。 現に新撰組への旧幕府への処遇は以後悪化し、慶喜の大阪移転に伴う見かけ上の解散、実は改名へと至る。 これについては土佐藩による、坂本中岡暗殺を新撰組の犯行とする旧幕府への弾劾も大きな役割を果たした可能性はあるが、 少なくとも、この時の話の内容が新撰組による暗殺の報告だったと考えられるところから、 永井よりも、新撰組の上司である松平容保の責任に話題が及んだと考えられる。 君の表面的な想像とは裏腹に、その後の処罰からは当日は新撰組とその上司である松平容保への処断が話題となったであろうということだ。 君は世評を問うが、伊東甲子太郎暗殺事件は直後には新撰組犯行とばれて、新撰組とその上司松平容保が問題となっている。 坂本中岡暗殺事件に至っては、世評は当時は新撰組犯行説で、もちろん上司は松平容保だ。 どちらを例にしても、世評で占うなら松平容保を犯人とするもので溢れていたことになる。世評が言うから永井という説はあまりに弱い。
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