- 【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
442 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 18:29:12.31 ID:2L8rSBx5P - c 一番許せないと思ったのは、福沢とキムの関係を批判的に見るのは、
戦後日本の歴史学のせいであるという坂野の発言である。 「歴史の現場」に即した同時代人の目という問題である。 門下生の井上角五郎が証言しているように、福沢諭吉は、 甲申政変に際して刀剣、爆薬などの武器提供を担った以上にクーデターに 深くかかわりをもち(福沢がクーデターのことを「知らなかったはずはない」 という坂野のコメントもお粗末だった)、「目ざす当の敵は支那なるが故に、 ・・・海陸大挙して支那に進入し、直ちに北京城を陥れ」、天皇の「御親征の 挙断じて行ふ可きなり。」などと、福沢の「時事新報」紙は何度か発行停止 処分をうけたほどの強硬な軍事介入論であったから、 1885年の上野の対支示威運動の会衆三千人が、市中デモ行進の際に時事新報 社前で「同社万歳」を連呼した事実はある。
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