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名無しさん@お腹いっぱい。
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
【関東軍】満州事変と満州国4【満鉄】

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【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
204 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/18(木) 10:23:03.79 ID:nEbGdQGk0
>合祀したのはあくまで靖国神社の判断

辻元清美衆議院議員からの質問主意書に対して、
「合祀の決定は靖国神社が行っているもので、旧厚生省が関与したということはない」
「旧陸海軍の人事資料等を保有してきたことから、靖国神社の要請に従って説明を行っていたものと考えている」
という答弁書が閣議決定されている。
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
206 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/18(木) 11:29:10.50 ID:nEbGdQGk0
「日清戦争は其名は東洋平和のためでありました、然るに此戦争は更らに大いなる日露戦争を生みました、
日露戦争もまた其名は東洋平和でありました。然し是れまた更らに更らに大いなる東洋平和のための戦争を生むのであらふと思ひます」
(「日露戦争より余が受けし利益」)『新希望』内村鑑三、1905年11月)
彼は戦争が戦争を生むこと、平和のための戦争などというものはなく、戦争が終わる毎に軍備はますます拡張されるということを見破っていた。
日本国中が戦勝に酔って、とくに日本のキリスト教信者の最大多数が戦争の謳歌者であったときである。
そのとき日本国中は誤っていて、一人の内村だけが正しかった。
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
212 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/18(木) 12:14:26.91 ID:nEbGdQGk0
極東国際軍事裁判所の裁判については、法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知しているが、
我が国は、日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「平和条約」という。)
第十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。
 ↑
日本政府の見解
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
216 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/18(木) 13:03:34.18 ID:nEbGdQGk0
7月26日にポツダム宣言が発せられ、日本が最終的に受諾したのが8月14日、その間には20日ほど経っている。
この間に何が起こったのか。
広島に、長崎に原爆が投下され、何十万人という市民の尊い命が失われた。
東南アジアの戦場でも、多くの人びとの命が奪われ、傷ついた。
ソ連軍の対日参戦もあって、中国の東北地方で多くの犠牲者が出た。
とにかく、この間に、数えあげるのが苦痛なほどの犠牲が生みだされた。
ポツダム宣言の翌日に受諾していれば、8月14日ではなくて、1日でも早く受諾していれば、
もう少し早く決断していれば、広島もなかったし、長崎もなかったし、ソ連の参戦もなかったのだ。
何十万人という人々の命を失うことはなかったのだということだ。
それでは、どうして、受諾の日が延びたのか。天皇の地位だよ。
いまの日本では、天皇陛下の「聖断」のおかげで戦争が終わった、だから、感謝しなければならんということらしいが、そんなことはない。
天皇と天皇制を守るためには、大きな犠牲がいったということだ。
【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】
224 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/18(木) 15:39:17.07 ID:nEbGdQGk0
少数意見のほうが正しいかもしれない。
たとえば、米国がアフガニスタンで戦争しようという時に、女性議員がたった一人だけ反対した。
それは非常な少数意見だ。
米国が戦争するにはまとまってしなければならないから、多数意見に従ってやるより仕方がないから、多数意見に従う。
それは仮の相対的な問題であって、多数意見が正しいからそれに従っているわけではない。
正しいか正しくないかはわからない。
なぜならば、何が正しいかということを議論したら意見が分かれたんだから。
そういうことは神様でないと決められない。
多数の意見が正しい意見だということになると、二つのことが生じる。
一つは、間違っているのだから少数意見がなくなればいいというふうに考えること。
それから、押しつけることになる。
場合によっては、権力を使って強制的に少数意見の人を罰したり追い出したり、とにかく強い圧力をそこに加えることになる。
それは民主主義的ではない。
なんで多数意見が正しいとは限らないということを強調するかというと、第一の理由は、時によって違うからだ。
同じ団体でも、今年多数意見だった者は来年少数意見になり、今年の少数意見は、来年多数意見になるかもしれない。
だから危ない。少数意見を間違いだと捨ててしまうのは。
少数意見は間違いだ、いつもみんなが意見一致で動くのが理想だと言っていると、
団体として、あるいは国としても、方向転換ができなくなってしまう。
戦争を始めたが間違いだった、始めたときは戦争に反対するほうは少数意見だった。
しかしやってみたらだんだんまずいことが生じた、そして戦争から方向転換するほうがいいということになってきた、
そのときに、前の少数意見は多数意見になるわけだ。
その多数意見に従って政策を転換できる。
ところが、みんなが同じ意見で始めてしまうと、「やめたほうがいい」という人はいないわけだから、
戦争はいつまでもズルズルと、本当のカタストロフになるまでつづく。
【関東軍】満州事変と満州国4【満鉄】
657 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/18(木) 16:23:48.12 ID:nEbGdQGk0
なし崩しの戦争拡大は対中国戦争の拡大過程をみれば一目瞭然。
上海事変は、2・26事件の翌年、1937年8月13日に始まる。
盧溝橋事件(同年7月7日)では、日本政府は不拡大方針ということを言っていた。
日本の司令官と中国の司令官とで現地で話し合いができたのだ。
話し合いがついてこれでお終いと言ったのに、軍隊を送ってだんだん拡大していった。
盧溝橋事件から北支(中国北部)にだんだん戦闘規模が大きくなって、
そのうち近衛内閣はもうこれ以上拡大しないと宣言するのだが、実際は上海で事件が起こる。
上海で事件が起こると、今度は海軍が陸戦隊を上げて、それから、揚子江に艦隊を入れて沿岸を砲撃させ、
上海の抵抗を破ろうとする。ところが中国側の抵抗が強くてうまくいかない。
それだけじゃだめだということになって、北支にいた軍を南下させた。北支には朝鮮に駐留していた日本軍を北上させた。
それから、内地からまた別に師団を送って、北中国から南下した日本軍を合わせて上海で戦って、激戦の末、やっと上海を取るわけだ。
そして日本政府は声明を出して、上海からは一歩も先へ進まない。この戦争は局地的な戦争であって、決して日中戦争ではないと言う。
ところが、上海を占領した日本軍は政府に言わずに南京に向かう。そして南京で虐殺事件が起こる。
政府が上海から外へは行かないと言ったのだから、それは国際的な声明だ。
それにも拘らず翌日、上海の占領軍は南京に向かった。その後は、それを聞き入れなければクーデターだと言って脅す。
しようがないということになって、陸軍が勝手にとった行動を中央政府が、国際的状況の中で日本軍の罪というわけにいかないから、
それを正当化するような屁理屈を考えて追認したというのが、対中国戦争拡大のメカニズムだ。


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