トップページ > 日本近代史 > 2011年08月18日 > 6EXnVFLb0

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名無しさん@お腹いっぱい。
司馬遼太郎の歴史観について

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司馬遼太郎の歴史観について
695 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/18(木) 08:15:22.39 ID:6EXnVFLb0
総じて司馬には偶像を落したいという衝動があったんだろうな
「宮本武蔵」に「真説宮本武蔵」
「徳川家康」に「覇王の家」
乃木神話を批判する「ために」児玉をヒーローに。
西郷崇拝を批判する「ために」大久保を明治の建設者に。

台湾出兵は「軍部の独走」というよりも薩摩人の南方志向が基礎にあったという
歴史解釈がもともとあったのを 司馬が大久保を持ち上げるタネにした「翔ぶが如く」
批判者すいぜんのエピソードだね
海音寺も「翔ぶが如く」には批判的で、以後、両者の関係は冷えている

司馬史観のひとつの特徴だから いたしかたないんだろうけど
司馬遼太郎の歴史観について
700 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/18(木) 23:56:41.83 ID:6EXnVFLb0
>海音寺も「翔ぶがごとく」には批判的で、以後、両者の関係は冷えている

これは現在入手できる出版物では確認できない 司馬没後の雑誌の編集者たちが
雑談形式で語っていた中にあったエピソード
そもそも海音寺が後進の歴史作家の作品に厳しい批判をあびせがちな感情過多の
人物だったことは 有名な直木賞選考委員辞任事件でもわかるとおり。
司馬は講談倶楽部賞受賞も直木賞受賞もほとんど海音寺ひとりの推薦で貰えたような
いきさつもあって(吉川英治は大反対だった)、海音寺にはアタマがあがらなかった。
その後「竜馬がゆく」などのベストセラーで一躍流行作家になってからも、
海音寺の史論に反論しないように、「義経」では海音寺説の東北馬の運動機能から
鵯越の逆落としを考案したとか 「死んでも死なぬ」では井上聞多の明治後は
「悪人列伝」に詳しいだとか 対談「日本歴史を点検する」ではほとんど弟子のように
気をつかいながら自説を撤回して話をあわせたりしていた。

・・・・ながくなるので、レスをわけます。


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