- 龍馬暗殺の黒幕4
327 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 20:53:38.03 ID:1LyeDSyC0 - >>325
実行隊が暴走したという説か。しかし公務執行なら暴走して殺してしまってもその場からは逃走しないのではないか。 >>326 それが正しければ幕府以外の藩が黒幕ということになる。
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328 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 20:59:40.09 ID:1LyeDSyC0 - 318にもうひとこと。
明治2年に、旧幕府時代の殺傷罪について、それが私闘による場合は罰するが、 公務執行によるものなら罰しないという法律ができた。 新選組の場合は私闘とみなされたので処刑され、今井は公務執行とみなされたので処刑されなかった。 相川氏の意見である。
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332 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 21:20:03.41 ID:1LyeDSyC0 - >>329
>容堂は佐幕だから龍馬を許すってなくね? この意味がいまいちよく分からないのだが。 容堂は佐幕だから竜馬を許さない、という意味なら分かるのだが。 あの時期、容堂としては佐幕の姿勢を示しておく必要があった。しかし、竜馬はあいかわらず 幕府に疑われかねないような行動をしているし、中岡も陸援隊を率いている。おまけに 幕府からは竜馬の捕縛要請がある(?)。そこで容堂としてはこの二人を処分して、 幕府に恭順の意を示しておく必要があった、と考えることもできる。
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334 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 21:25:17.78 ID:1LyeDSyC0 - >>330
わたしは必ずしも幕府単独犯行説に立っていないのである。土佐との共謀だと考えている。 だから、永井や容保との会談のときに捕縛しなかったのは、中岡もいるときに一緒に 殺害してしまおうという計画だったと推理しているのである。
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336 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 21:27:05.64 ID:1LyeDSyC0 - >>333
鋭い指摘だ。
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337 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 21:32:46.07 ID:1LyeDSyC0 - ついでにいうと、手代木の某諸侯だが、手代木がどうしても口にできない諸侯がもうひとりいる。
土佐藩主だ。なぜなら維新後、土佐県権参事としておまんまを食わせてもらっている。 その恩があるからどうしても言えない。
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338 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 21:52:55.32 ID:1LyeDSyC0 - ところでわたしはいま加治将一の「龍馬の黒幕」という本を読んでいる。
トンデモ本だと思っていたが、いやー面白い。とくに竜馬は藩公認の情報収集人だった、 という視点は目からウロコが落ちる思いがした。全部読んだらまた感想を書こう。
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340 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 21:59:45.40 ID:1LyeDSyC0 - ところで松平容保の関与をほのめかす史料は二三あるが、会津藩士の関与を示す史料はないのでは?
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341 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 22:12:17.44 ID:1LyeDSyC0 - >>339
しかし容保は大政奉還の大義を理解していたと慶喜公伝にある。藩士は反対だったが。 それに慶喜は大政奉還に賛成しているのに、大政奉還を推進した竜馬を殺すことは、容保にしても、 慶喜公の意に反することであるからできないだろうし、慶喜公に対して礼を失することである。
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343 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 22:50:47.17 ID:1LyeDSyC0 - >>339
土佐藩の大政奉還の建白を慶喜公は受諾したのだから、あの時期、土佐の藩士を殺害するのは 慶喜公への反逆である。ゆえに容保がそんなことをするはずがない。それは永井にしても同じである。 ゆえに黒幕は幕府以外である。論理的にはこうなる。土佐にとっても不利である。ゆえに土佐ではない。 すると薩摩か紀州である。しかし薩摩にしても有利だという人もいれば不利だという人もいる。 では紀州か…。要するに政治的な損得ばかりを考察しても分らないのである。考えようによってどんな説明でもつくのである。
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344 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/31(日) 22:56:49.00 ID:1LyeDSyC0 - >>342
慶喜公伝は史料が明記されているが、今日図書館に返却してしまったので確かめようがない。 また明日にでも確かめてこよう。ついでにいうと岩倉の書簡は信用できないらしい。あの人は 言質を取られないよう、日記にも嘘を書く人だったらしい。
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