- 【南京】東中野裁判6【新路口事件】
6 :<[sage]:2011/07/24(日) 02:10:16.37 ID:wz0Vf5te0 - ---------------
ttp://www.nextftp.com/tarari/minkanjin.htm 『唐広晋証言 (※「この事実を」P19-20より)』 ・・・私たちを幕府山に連れて行き、空の兵舎に閉じこめました。そこに収監されたおよそ二万人は、ほとん どが捕虜となった兵士達で、一部が警官とラオパーイシン(老百姓−市民、農民のこと)でした。三日三晩食 べさせも、飲ませもせず、年寄りや子供が飢え渇いて相継いで死にました。・・・ --------------- --------------- ttp://www.nextftp.com/tarari/kasai.htm 『唐広晋証言 (※「私が経験した日本軍の南京大虐殺」より)』 十二月十二日、つまり南京が陥落する前の日に南京を脱出して下関から揚子江に沿って下流を目指した。 そこで日本軍の捕虜になったと回想し、続いて次のように述べている。 ・・・私たちは中に閉じこめられ、ご飯さえたべさせてもらえず、三日目になってようやく水を飲ませてくれた。 敵は少しでも思うようにならないと発砲して人を殺した。【 五日目になった。私たちはお腹の皮が背中につく ほどお腹が空いてみなただ息をするだけであった 】。 --------------- --------------- ttp://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen7.html 『唐広晋証言 (※「私が経験した日本軍の南京大虐殺」より)』 六日目の朝、まだ明けないうちに敵は私たちを庭に出し、すべての人の肘同士を布で縛ってつなぎあげた。 全部を縛りおわると、すでに午後二時過ぎであった。 その後敵は銃剣でこの群衆を整列させ老虎山に向かって歩かせた。そのとき人々は 【 腹が空いて気力 もなくなっていた 】。敵は隊列の両側で、歩くのが遅い人を見るとその人を銃剣で刺した。 --------------- ■三日目には年寄りや子供が餓死し、五日目には『お腹が空いてみなただ息をするだけ』になり、六日目に は『腹が空いて気力もなくなっていた』のに時速4kmで歩けるワケねーだろうと♪・・・(・∀・) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E8%BB%8D この速度は大部隊になるにつれて遅くなるほか、兵種連合の場合は速度の遅い部隊を基準とするから、 【 通常1kmを行進するのに13分間 】 を要し、休憩時間を合算し、1kmにつき約15分間を標準とする。 ※1km/13min ⇒ 時速4.6km
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