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名無しさん@お腹いっぱい。
海軍兵学校と陸軍士官学校について
大久保利通 其の六

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海軍兵学校と陸軍士官学校について
386 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/06/15(水) 00:25:45.86 ID:eGH39lE10
明治以来の陸軍省・参謀本部の力関係や、どのポストが重視されていてトップに立つなら
このポストとこのポストを経験しているのが必須、みたいなことが詳しく書かれている本に
森靖夫の『日本陸軍と日中戦争への道―軍事統制システムをめぐる攻防』がある。

戦場での軍功と、行政官僚としての手腕ってのは、根本的に別のものと認識されていて、
行政側のトップに立つ人間に求められるのは軍功よりも実務能力の方だったみたい。

少なくとも日清・日露の時代までは確実に参謀本部よりも陸軍省の方が格上だった。
参謀本部からの様々な要求を、陸軍省の方で制御していた。

その陸軍省優位が崩れたのは、一夕会系の軍人達の現場レベルでの下からの突き上げと、
三月事件・満州事変・十月事件と、陸軍の統制が乱れはじめた時期に大臣になった
荒木貞夫が昭和7年から8年にかけて行ったいわゆる「荒木人事」で、後に皇道派と
呼ばれる一連の集団を重用して省・部内での派閥抗争を激化させたことに原因がある。

軍隊ってのは本来的には、上意下達の命令系統がビシッとあって、上官の命を遵守する
というのが当然のモラルだったのに、上と下からそのモラルを崩していってしまったせいで
「トップに立つ人間の権威」ってのがどんどん下落していってしまったんだよ。

いってみれば、大企業の社長室に、入社して2・3年くらいしか経っていないぺーぺーが
本部長や部長クラスの人間が上申するような意見を平気で述べ立てて、社長がそれを
うんうんと頷きながら耳を傾けている、みたいな状態。

長年現場で仕事をして、その仕事の蓄積の上に評価を下されて今の地位まで昇ってきた
常務専務クラスの人間にとってはたまったもんじゃないし、ぺーぺーの社員にしても、
上司の主任・課長クラスの人間の言うことを聞きながら地道な仕事をこなしていくよりも、
直接社長に直談判してやれみたいな意識になってしまいがち(自分の未熟さなんて考えもせず)。

そうやって統制が乱れていく中で、参謀本部の側にあった「机上の事務ばかりに長けた
連中に何が分かる」みたいな気分が助長されて、陸軍省の権威を引きずり下ろして、
自分たちと同格にして発言力を増やそうとしていった、という流れだと理解してる。

長々と書いたが、あくまで個人的な理解の仕方なので、反論はバンバン寄せてくれ。
大久保利通 其の六
510 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/06/15(水) 00:41:59.16 ID:eGH39lE10
>509
いや、大久保政権が続いていたとしても、藩閥政治はもっと早く解体に向かったんじゃないかって気がするよ。
少なくとも、大久保は藩閥にこだわらずに実力のある人間をどしどし重要な位置に付けていったから。

大久保暗殺の報を聞いて、彼に実力を評価されて仕事を任されていた前島密や河瀬秀治なんかは、
その後の日本の行く末を思って暗然としたって言ってるし、実際その通りになっていったって。
海軍兵学校と陸軍士官学校について
388 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/06/15(水) 01:55:00.67 ID:eGH39lE10
>387
>>どのポストが重視されていてトップに立つなら
>これ作戦部長・作戦課長・軍事課長・砲兵課長あたりかな?

本が手元に無いから正確なところは思い出せないけど、、参謀本部系統でのポスト経歴は
あまり重視されてなくて、陸軍省での軍務課長や軍事課長、その後に軍務局長を経由して、
みたいなことが書いてあった。

参謀本部、つまり統帥系統の仕事ってのは、言ってみれば陸士・陸大で勉強させたことの
延長上にあるもので、つまりは陸軍でエリートコースに乗ってる学歴の持ち主だったならば
大抵のことは「出来て当然」みたいな目で見られていたのさ。

対して陸軍省での仕事ってのは、陸士・陸大での教育ですっぽり抜け落ちてしまっている
総務・経理・人事・対外折衝・外部との利害調整といった、広い意味での「対外・対内政治」
みたいな側面が要求されるから、陸大でのエリートの中でもそうした仕事を的確にこなせるか
どうかに関しては、「やらせてみなけりゃ分からない」みたいに見られてた。

また大ざっぱで感覚的な比喩をするなら、理系の知識や技術が必須として求められる会社があって、
理系の学卒や大学院卒の学生以外は取らないという方針があるんだけど、研究職や開発課
みたいな職場はそういう学生に好きなようにやらせることで業績を上げられるんだけど、
そういう人間達が人事や経理や法務や財務に長けているかどうかは未知数なわけさ。

研究職とは別に、営業や経理のスキルを持った人間を採りゃいいじゃんってのが合理的な
判断だと思うけど、陸軍ってのはそういう発想をしないで、陸士・陸大というコースを
取った人間以外を信用しないみたいなところがあった。

上記の会社の例で言えば、「理系の知識を持っていないやつにこの会社の何が分かる」みたいな
意識がかなり濃密だった。んじゃ、陸士や陸大でそういう方面の勉強をさせればいいじゃん
というのが合理的な考え方だと思うんだけど、これまた「研究をおろそかにするような学生なんぞ、
ろくなもんじゃない」という硬直した考えがはびこっていた。

軍人たるもの、戦術理論や部隊運用に関する知識を持ち、実地に部下を統率して敵に当たる
人間こそが一番価値がある、みたいな考え方が強すぎて、それ以外の法律なり行政なりの勉強は
「邪道だ」みたいに考えてるところが学生側にも教官側にもあったみたいなんだよね。
大久保利通 其の六
513 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/06/15(水) 02:03:19.01 ID:eGH39lE10
国家としての制度設計がまだまだ手探りな状態だったし、ヨーロッパでの議会制や三権分立だって
まだそれほど確固とした盤石な理論でもなかった頃だったしね。

それまでの数百年間にわたって築き挙げ受け継がれてきた伝統的な統治形態をぶっ壊して、
一から作り直そうとしているんだから、どんなシステムが良いのか、どういう制度を採るべきなのか、
判断するのは難しいことだったと思うよ。

どの省にどの権限を与えるのか、その時のその省のトップとその部下の面子を勘案して決める、
みたいなレベルで物事を考える部分を持っていないと、政府全体が瓦解しかねないぐらいに
危うい均衡で成り立っていた集団だったからね。

海軍兵学校と陸軍士官学校について
389 :名無しさん@お腹いっぱい。[saeg]:2011/06/15(水) 02:48:42.23 ID:eGH39lE10
上で書いた事柄とも関連するけど、陸軍が「軍部大臣現役武官制」に固執したのは
こういう意識がベースになってのことなんだよね。

軍のことがよく分からないヤツにトップになられてたまるか、みたいな感情。
政党政治家や他省出身の官僚とかが大臣の椅子に座って、
自分たちの意志が無視されるような事態になるのは耐えられない、
みたいなとこだろう。

実際のところ、政党政治家でも軍事に理解を示しうる人間は居ただろうし、
そういう政治家を官僚が支えながら勉強してもらえば良いんだろうけど、
ころころと首相や内閣が替わるような日本の政治風土にはそぐわないし、
そもそも政党政治家もそんな勉強をすることを望んでも居なかった。

「軍部大臣現役武官制」は確かに制度的には問題が多かったし、それが国の進路を
誤らせたこともあったけど、一番根本的な問題は「シビリアンコントロール」という
考えに日本人がなじんでこなかったことにあったんだと思う。


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