トップページ > 日本近代史 > 2011年06月12日 > ZATCwK2E0

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名無しさん@お腹いっぱい。
日清・日露戦争について

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日清・日露戦争について
760 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/12(日) 02:44:14.61 ID:ZATCwK2E0
AAが邪魔でレスしずらいんで、一つずつ論点を挙げて整理してゆきます。
AAなんて迷惑なモノなど使う人がいなければ、しなくていい手間なんですが。
とりあえず以下の2点について。
1・放列は敵から見えない位置に配置するのが例外はあるにしろ基本、というものの根拠は何か
2・間接射撃を可能とする改良を37年に行った…
 (おそらくは、それ以前には間接射撃は出来なかった、ということを言いたいものと推測する)

「明治30年改訂戦術学教程」の第五章砲兵戦術・第六節砲兵陣地・第一条陣地選定の項目
「・・・・・かくの如く天然に遮蔽せる陣地あらざるときといえども、人工を以てこれを設けば
その利決して少なからず。なんとなればかくのごとき陣地に於いては敵をしてその射撃効力を
観測するに困難ならしむるを以てなり。また暗黒なる地物の前方に近く存在する陣地、例えば
暗黒なる森林の陰影中の如き地はその利またこれに斎し。」
この文章では、天然に遮蔽される陣地が最良、なければ作成、または例えば特殊な例としてこの
ようなものは良い、というように良陣地の説明をしている。
要するに、放列は敵から見えない位置に配置するのが例外はあるにしろ基本、という事を書いている。
日清・日露戦争について
761 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/12(日) 03:05:52.96 ID:ZATCwK2E0
また同じ陣地選定の項目において、上の文章に続けて、
「また特別の情況に際しては全く隠蔽せる陣地を占めて間接射撃を為すを得べし」とある。
この事から、この時点で既に間接射撃が可能だったことがわかる。
完全な復座機構が開発されていない時代なのだから、後世のものと比べれば不完全なものだった
だろうが、「不完全にしろ行い得た」ことと「出来なかった」こととは全く違う。

>>748
>有坂大佐がさぁ・・
>照準器を改良して、【間接射撃を可能としたものであった】。 という改良を
>37年にしたんだが?

お尋ねしたいのですが、これは、有坂大佐が、明治37年の改良にあたっての報告書なり何かのなかで、
「これによって(今までは不可能であった)間接射撃が可能となった」と表明しているということですか?
この改良について現代の著者(佐山氏?木俣氏?)が、このように説明しているに過ぎないのではありませんか?
日清・日露戦争について
762 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/12(日) 03:18:16.00 ID:ZATCwK2E0
>Q:放列観測射撃において方向は直接照準じゃなく試射もなく目標中にどうやって導くの?

試射もなく、とありますが、この制限はいかなる理由で付与されたものでしょうか?




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