- 【関東軍】満州事変と満州国2【満鉄】
140 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/09(木) 06:52:53.80 ID:4DQEFzdj0 - >>139
どうやらソ連工作員説は事件から七十年後にプロホロフが持ちだすまでは、ソ連でも無視されて いたようだが、有力な助っ人が現われた。ほかならぬ中西輝政で、それを裏づける材料として イギリスのMI12C(陸軍情報部極東課)による「ソ連が主役(protagonist)」だったという 一九二八年十月の報告書(文書番号はWO106/5750)を持ち出したのである。 そのつづき 出典は示されていなかったが、筆者は二、三の関係文献を当ってアントニー・ベスト教授の『一九一四−一九四一年の英 諜報とアジアにおける日本の挑戦』(二〇〇二)らしいと見当がついた。 ※ベスト本の引用 事件からしばらく事態は不明瞭だったが十月十二日にMI12Cは、確証はないとはいえ主役はソ連の可能性がもっとも高 いと結論した。しかし一九二九年に入り東京の英大使館は別の推定に達した。すなわち暗殺は関東軍の一部によって遂行 されたということであるが、百(日本の)外務省はあまりにも衝撃的であり、日英関係への影響を懸念して他の部局には 知らせないと決定したと、ある高官は述べた(出所は1929年3月23日付のティリー駐日大使発チエンバレン外相あて 113番電、F0371/13889など)。 すでに東京の英大使館は事件の第一報となる六月十五日付の報告で、「日本陸軍は南軍の仕業と発表しているが、大連駐在領事 によると、中国人や外国人の多くは日本人が爆殺したと推測しているよし」と伝えていた。必ずしもソ連主犯説に固まっていた わけではないことがわかる。日本政府と軍中央が河本の自白などで確証を得たのは二八年末で、その後も部外秘が保たれていた ため、英大使が二九年四月に確報をつかんだのはおそすぎるとは言えないだろう。 秦郁彦「張作霖爆殺からハル・ノートまで--田母神史觀の檢討」 日本法學 76(2), 785-821, 2010-09
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- 【関東軍】満州事変と満州国2【満鉄】
143 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/09(木) 14:17:54.53 ID:4DQEFzdj0 - >>142
伊藤隆がまともでワロタ 『諸君!』座談会『張作霖爆殺の犯人はソ連諜報員か』より(『諸君!』2006年6月号 P32) 伊藤(隆) 私はやはり日本の軍部がやったと考えています。というのは田中義一内閣の鉄道 大臣だった小川平吉氏の手記によると、現地から詳細な報告とともに事後処理に関する相 談を受けていることがわかるからです。「国民党便衣隊員の仕業に見せかけるために用意して いた中国人の一人に逃げられてしまった。この用意をした中国人を逃がすための費用が必要 だ」という生々しいやり取りが出てくるんですよ。私はエイティンゴンが自分の手柄にするために、 報告書でもデッチ上げて書いたんじゃないかという印象を受けましたね。
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- 【クズ崎】大物近代史家総合スレの23【出入厳禁】
720 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/09(木) 23:22:09.20 ID:4DQEFzdj0 - >>713
で、クラヤママンもそのサトー先生に受け入れられなかったから大学院を辞めたんだっけ?
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