トップページ > 日本近代史 > 2011年05月23日 > lcF00lVM0

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名無しさん@お腹いっぱい。
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう12

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松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう12
545 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/23(月) 07:21:53.61 ID:lcF00lVM0
そりゃそうだ>伊藤と山県
そんで、広沢と桂の違いは、外交云々よりも、やっぱ諸隊とのつながりかなあ、と思う
単に対外的な問題や、普通の内政上の課題だったら、
広沢だって江戸京都にいたし、内政には桂よりよっぽど経験があったし広沢でも良かったかもだが
クーデターによって諸隊が勢いを得て、それをコントロールするのが藩の重大な課題になっていた
これは、諸隊とほとんどつながりのない広沢では無理だろう
諸隊の幹部には村塾系の人間が多いから、桂ならある程度抑えがきく
山県なんかも、かなり以前から桂とつながりができてるしね
諸隊のほうにも、桂なら自分たちの話が通りやすいという期待があったのだろう

もちろん、桂の先を見通す能力が、後から見れば桂の資質として最重要なんだが
このころの長州の幹部連中が、それをどの程度理解してたのかなあ
そういう部分は、若いころの軍艦建造の件から見えてて、それが評価されて出世したんだろうけどな
広沢もすごいやつだと思うけど、やっぱり地に足のついた、冷静で現実的な政策や実務能力がすごいんで
将来の見通しを立てる能力はやはり桂にはかなわなかったろう
廃藩置県に賛成したのも、明治三年の末、暗殺されるちょっと前ぐらいだった


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