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名無しさん@お腹いっぱい。
【南京】東中野裁判5【新路口事件】

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【南京】東中野裁判5【新路口事件】
385 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/21(土) 02:45:16.85 ID:5iEMASQp0
>>370-371
> 日本も戦争に負けるまでは勝者としてそのルールを作り〜側だった。
私はそれを否定してないだろ。むしろそれが国際法の実態だと言っている。で、
力の論理なら「負けたんだからしゃ〜ない」となる。しかし、法の論理を持ち出す
とそうはいかない。法の恣意的運用はその存在自体を否定するのと大差ない。
日本は敗戦国だから占領も裁判も甘んじて受け入れた。客観的事実として、法
に違反したとか道義的に悪いことをしたとかいうことじゃないし、そこで出た結論
は、真実だからではなく勝者がそれを望んだからに過ぎない。

> 日本政府はポツダム宣言条項にないことを理由に抵抗している。
無意味な反論だな。日本がどの様な説得をしたかなんて関係ない。占領軍は違法
だから要求を取り下げさせられたわけじゃない。ここは譲歩しておいた方が得策
だと考えたに過ぎない。これが史実だ。

> すり替えではなく事実の提示。
否、明らかな摩り替えだよ。力の論理こそが国際秩序の源であり、それは誰かの
せいにできる様なものではない。その場における国際法は、強者の欲望を正当で
あるかの様に装飾する飾りに過ぎない。

> 最終解釈者が不在だから何をやっても良いのなら〜ことはできない。
これはまた幼稚な極論を持ち出したね。あくまでも「目安だ」と言ってるだろう。
ある行為が万人に歓迎されるなんて不可能に近いし、不利益より利益が勝ってい
たら、関係各国の国力を計算しながら軋轢覚悟でチャレンジもするだろう。国際
社会はパワーバランスで成り立ってるんだよ。
ビンラディン殺害をやったのが米国だから通ってしまう。他の小国だったら猛烈
な批判にさらされるだろうし、そもそもできはしない。

> 僕が好きなのではなく、君が言う「法秩序の未成熟を正当化」と言う場合、
法の論理で語りたいなら「日本の方が先に力ずくだったんだぁ!」なんて泣き言を
言うなよ。先とか後とか関係ない。違法は違法だろーが。
国際法で罪刑法定主義が希薄なのは、国内と比べ秩序の形態が原始的だから
だよ。国際法は国内法の様に判決なんて下せない。それはそのまま国際法の実態
(強者の論理)を表しているだけ。

> その後の国際法にどれだけ資する経験となったかは歴然とした事実だ。
それは東京裁判の中身が正しいからではなく、歴史の転換点として評価されてる
だけだ。
【南京】東中野裁判5【新路口事件】
386 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/21(土) 03:01:28.31 ID:5iEMASQp0
>>380
何を言ってるんだ君は?

国際法は真実の追究や適否を決定するのに寄与していないと言ってるんだぞ。
「当てはまらない」のは、それだけ国際法が法として未熟…もしくは国内法
とは全く別次元の「法」だということ。

君の言う「正当」って何だよ。 私は暴力至上主義に基づく正当性なら認めて
いるぞ。だがそれは「いわゆる」法秩序じゃあねーっての。
【南京】東中野裁判5【新路口事件】
387 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/21(土) 03:05:27.50 ID:5iEMASQp0
元来国際法とは国家間の行き違いを回避する為に、あらかじめ申し合
わせたガイドラインみたいなものです。ですから例外を除いて個人や
国家を裁く様には作られていません。解釈上の対立があっても政治的
解決をするものなのです。ですから東京裁判を法廷だと捉えるのは、
根本的に無理筋なのです。あれは政治儀式です。

特別法は何でもありではありません。通常特別法は、一般法の範囲内の
特別な範疇における弱者保護を目的としてつくられます。だから強者を
制限する強行規定を多く含むのが常です。
つまり、強者がその思惑のままに、一般法を超えた全く新たな規定を
でっち上げることは、法理に反するんです。強者が弱者を裁く目的で
特別法を作ったのでは、本末転倒になってしまいますからね。

法とは強者の隠れ蓑ではありません。法とはむしろ強者を制約するもの
です。法にはその背景となる思想があります。法の不遡及も、権力者が
恣意的に個人を裁いてはならないという思想から発しています。それが
可能になると個々人の持つ自然権の意味がなくなってしまいますからね。
だから法思想としてみるなら、国内に限定する理由はないのです。 

君等の論理はポツダム宣言が合意だったとの愚論が基になっていますね。
しかし無差別殺戮による強制を正当化するのは、法の論理ではなく暴力
の論理です。暴力の論理に正当不当はありません。
ポツダム宣言に法的意味を持たせたかったなら、最低限、本土に対する
無差別殺戮を始める前に合意していなければなりませんね。
それにポツダム宣言の文言は曖昧です。曖昧な場合は受諾者、若しくは
弱者に有利に解釈するのが法の常識でもあります。


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