- 高杉晋作
513 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/02(月) 23:36:27.78 ID:dTLs9XGl0 - 久坂にほぼ近い考えと思われる中岡慎太郎は、
『夫れ、攘夷というは皇国(日本)の至言 にあらず。そのやむを得ざるに至っては、宇内(世界)各国、みなこれを行うもの也』と、 攘夷は万国共通に行われる物で、日本だけの特殊な理論ではないと述べています。 そして薩長は、攘夷戦によって民族の独立を意識したを高く評価してます。 攘夷戦によって薩摩は士気一致、俗論漸く俎し、因循固陋の弊大いに破れ、いわゆる攘夷家なる者を先頭として航海練兵等の実用を主張することになり、一藩の国是が定まった。 長州にては、しばしば外国船を暴撃し、敗軍し、続いて馬関の大敗がある。又追討の兵を四境に受ける。この時人皆思ったのが長州万々支えることは出来ないと。 あにはからんや、長州は一国の政事を改革し、兵制を一新し、士気大に奮う。 攘夷戦によって、国難に際しては、階級に関係なく、民衆が一体となることで藩論が一変したことを説きました。 そして 「自今以後、天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、吾思ふに、天下近日の内に二藩の令に従ふこと鏡にかけて見るが如し、他日本体を立て外夷の軽侮を絶つも、亦此の二藩に基づくなる可し。」 と、以後天下を興すのは薩長であり、又外敵の侵略を防ぐのも薩長に決まったとしてます。 「富国強兵と云ふものは、戦の一字にあり。」と書いています。
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