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名無しさん@お腹いっぱい。
【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)

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【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
80 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/04/25(月) 22:06:23.67 ID:Yu+tq6H40
>>43
> [福沢諭吉侵略、朝鮮・清侮辱発言]
> ▲"朝鮮国(…)未開なのでこれを誘引して導くべきで、その人民は本当に頑迷固陋で…."(1882.3)
> ▲"朝鮮は本来論じる価値もない。私たちが目標にする当面の敵は支那(中国)であるため…."(1884.12)
> ▲"朝鮮国(…)国ながら国でもなくて、政府ながら政府でもない。"(1894.7)
> ▲"こういう乞食らを相手に戦って蚤を移す憂慮も"(1894.7)
> ▲"(朝鮮の)過ぎたる崇拝の迷夢を悟らせ粉砕するに弾丸火薬よりましなものはありえない。"(1894.7)

上記の発言のソースを現行版『福澤諭吉全集』からピックアップしてみました。

@(1882.3)→「朝鮮の交際を論ず」(1882年3月11日)現行版全集 第8巻29頁
> 彼の國勢果して未開ならば之を誘ふて之を導く可し、
> 彼の人民果して頑陋(ぐわんろう)ならば之に諭して之に説く可し。

大正版全集 第8巻収録。草稿非残存。
「朝鮮が未開ならば」というのは、日本と比較して近代化が遅れていることで、
「人民が頑陋ならば」というのは、近代化に反対する感情が強いことを言っています。
朝鮮を侵略するとか併合するとかいう話ではなく、近代化の援助をすべきだと言っています。

A(1884.12)→「戰爭となれば必勝の算あり」(1884年12月27日)現行版全集 第10巻159頁
>  扨斯の如く我日本は支那朝鮮兩國を相手に問罪の師を起したりとせんか、朝鮮は固より論ずるに足らず、我目
> ざす當の敵は支那なるが故に、先づ一隊の兵を派して朝鮮京城の支那兵を鏖にし、朝鮮政府をして我正當の要求
> を承諾せしむると同時に、我兵は海陸大擧して支那に進入し、直ちに北京城を陥れ、皇帝熱河(ねつか)に退き給はゞ熱河
> に進み、如何に剛愎の支那人も詮方盡きて止むを得ず我正當の要求を承諾して低頭其罪を謝せしむるの所置を爲
> さゞるべからず。

昭和版続全集 第1巻収録。草稿非残存。
もし清国・朝鮮国と戦争をした場合の話で、「朝鮮は固より論ずるに足らず」というのは、
日本に比べて朝鮮の兵力が劣っていることを指しています。

福澤は1882年(明治15年)9月9日から10月17日まで時事新報に連載した『兵論』では、

  以上所記に由て之を観るに清国にて近年海陸軍の改正を施したるは
  唯其一小部分なれども其実数を見れば殆ど我日本国の海陸軍に等しき
  のみならず海軍に至ては我国の一倍に近し
  http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=100&PAGE=35

と指摘して、清国の兵力は日本の兵力を上回っており、海軍力は日本の2倍と見積もっています。
さらに、

  圧制政府の兵にても自由政府の兵にても強き者は勝て
  弱き者は敗す可し其強弱は軍人の多寡と兵器の精粗と隊伍編制の巧
  拙と国財資本の厚薄とに在て存するのみ
  http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=100&PAGE=28

と述べて、兵力の大小が戦争の勝敗を決すると注意しています。
「戰爭となれば必勝の算あり」にあるように容易に清国に勝てるとは言っていないのです。
【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
81 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/04/25(月) 22:09:14.86 ID:Yu+tq6H40
(つづき)
B(1894.7)→「土地は併呑す可らず國事は改革す可し」(1894年7月5日)現行版全集 第14巻438頁
> 凡そ一國に政府を立る所以は國民の榮譽生命財産を保護して安全な
> らしむる爲めのものなるに、朝鮮國の政府は恰も其正反對にして、政府あるが故に却て安全ならずと云ふ。國に
> して國に非ず、政府にして政府に非ざるなり

大正版・昭和版全集未収録。草稿残存。
政府の基本的な役割は、国民の栄誉・生命・財産を保護して安全を保障することにあるのに、
朝鮮国の政府はその役割を果たしていないばかりか、逆に政府があることで安全にならない
と指摘して、朝鮮国は「国にして国に非ず」「政府にして政府に非ざる」と批判しています。
また、「土地は併呑す可らず」とは朝鮮併合に反対した言葉です。

C(1894.7)→「降參の旗章 [漫言]」(1894年7月8日)現行版全集 第14巻447頁
>  昨日の時事新報號外に、牙山の清將聶(せふ)氏は朝鮮國王に謁見する爲め二千の兵を率ゐ京城に向て進發云々とあり。
> 其文面を見れば今にもドン/\チャン/\始りさうに思はるれども、漫言子の如きはこんな事で驚く者にあらず。
> 先づ以て安心なりと申す其譯(そのわけ)は、昨今京城は日本の兵を以て充滿して草も木も靡く其中に、聶將軍殿が二重腰(ふたへごし)に
> 成つてヨチ/\出て來たからとて何の用を爲す可きや。唯二千の乞食の行列を青天白日に晒らして見物人のお慰
> みに供するまでのことなり。日本の軍隊もこんな乞食を相手にして戰ふては虱の移る恐れもあれば大抵は大目に
> 見て見遁がすことならん。彼れも亦ほんとふに戰ふ氣は萬々なかる可し。

昭和版続全集 第4巻収録。草稿非残存。
別の箇所で清国の兵隊が規律を乱して進軍途中の村々で略奪を働いていると指摘しているので、
それを乞食の行列と批判している文章です。

D(1894.7)→「支那朝鮮兩國に向て直に戰を開く可し」(1894年7月24日)現行版全集 第14巻480頁
> 又茲に看過す可らざるは朝鮮政府の所行なり。彼れが一度
> 我要求を承諾して後、何の謂れもなく之を拒絶したるは如何にも我儘至極の擧動にして、我國に對し甚だしき無
> 禮を加へたるものなれば、支那に向て開戰すると同時に其同穴狐狸の違約罪をも糺さゞる可らず。朝鮮の小弱、
> これを討つは聊か氣の毒に似たれども、多年來彼等の腦裏に染込みたる支那崇拝の迷夢を覺破するには、彈丸硝
> 藥に勝るものある可からず。

昭和版続全集 第4巻収録。草稿非残存。
「崇拝の迷夢」とは「支那崇拝の迷夢」のことで、朝鮮国が清国の属国のようになっているありさまを
指しています。



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